2009/7/3
カテゴリー » 医 学

電車の車内に坐る女性の乗客3人はマスクをかけ、男性2人はかけていない。その一人は咳をして飛沫を撒き散らしている。左上に「『マスク』をかけぬと‥」とあり、体温計とベッドで臥している場面が描かれている。マスクは黒色の菱形をしている。下段には、縁先で母親と女の子がうがいをしている。お盆にうがい薬の瓶が置かれている。
斜めの帯に、「汽車電車人の中では『マスク』せよ。外出の後は『ウガヒ』忘るな」と文語体で善かれ、右下に黒地に白抜きの文字で「『マスク』とうがひ」と大きく記されている。「うがひ」は「うがい」のこと。語源は鵜飼、鵜が魚を呑んで吐き出すことに由来するという。
これは、今から90年前、大正7年から9年にかけて大流行したスペイン・インフルエンザ(通称スペイン風邪)の予防のため、内務省衛生局(今の厚生労働省)が作成して全国に配布したポスターの一枚である。
美術作品とはいえないが、当時の庶民の風俗が的確に措かれており、医療史はもとより社会文化史の貴重な資料といえる。このほか、「病人は別の部屋に」「予防注射と日光消毒」などを標語としたポスターが8種ほど作成され、3万枚以上も配布された。
スペイン・インフルエンザは世界史最大の疫病といわれ、第一次世界大戦に乗じて全世界に流行し、世界で死者4千万人、日本国内では死者50万人という大災害をもたらした。これは世界大戦や関東大震災の死者の4〜5倍にあたる。このインフルエンザはスペインに発生したわけではないが、世界大戦中でスペインから最初に報道された。いずれにしろ当時の人たちにとっては未知の「新型インフルエンザ」であった。忘れられたその歴史的事実については歴史人口学者・速水融(あきら)の大著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店)に詳しい。
日本人の半数が罹患したというこのインフルエンザは、たとえば精神科医で歌人の斎藤茂吉は長崎医学専門学校教授をしていた大正9年長崎で罹患し、友人の島木赤彦あての手紙に「下熱後の衰弱と肺炎のあとがなかなか回復せず」と書いている。また福島県猪苗代町では大正7年11月10日 66歳の老女が犠牲になったが、彼女はアメリカにいた細菌学者・野口英世の母シカであった。
なかでも新聞紙上をにぎわせて話題となったのは演劇界の寵児島村抱月で、大正7年11月5日肺炎を併発して死去した。そのとき抱月は弟子で愛人であった日本最初の女優松井須磨子と同棲中であり、はじめ須磨子が罹患したが、抱月に移り、死に至った。
ところが、「カチューシャの唄」や「ゴンドラの唄」で一世を風靡した須磨子は、翌大正8年1月五日抱月のあとを追って縊死自殺をとげたのである。「女優松井須磨子自殺す」というニュースはセンセーショナルに報じられ、大正ロマンをかざる一大事件となった。
ところで、こうした人間ドラマが不気味に進行しているさなかの大正7年12月27日早朝、雪の残る東京に、22歳の青年が母をともない、妹の看病のため、はるばる東北の花巻から上野に到着、小石川区雑司ケ谷町の旅館に止宿した。青年は早速妹を入院先の永楽病院(東大付属病院小石川分院)に見舞い、その様子を故郷の父親あての手紙に、次のようにつづった。
「拝啓 今朝無事着京敦し候。午後二時永楽病院にて面会仕り候処別段に顔色も悪からず言語等常の如く御座候。昨日は朝三十八度夜三十九度少々咽喉を害し侯様に見え候。……」
こう書く22歳の青年は宮沢賢治。この年盛岡高等農林学校を卒業、家業を手伝っていた。父は政次郎44歳。花巻で質・古着商を営んでいた。母イチ41歳。そして妹とし子(トシ)19歳は目白の日本女子大学校3年生、積善寮に寄宿していた。
賢治は母を先に帰し、以後一人で毎日とし子の病室に通い、体温の上下など容態を詳しく父親に手紙で、毎日かならず一通、ときには二通書き送る。それによると、発熱ははじめ心配した腸チフスによるものではなく、翌年1月4日の手紙にあるように、「割合に頑固なるインフルエンザ、及肺尖の浸潤によるものにて今後心配なる事は肺炎を併発せざるやに御座候」ということであった。
インフルエンザは今も昔も学校など集団生活している人たちを真っ先に襲う。とし子のいた女子大でも学生の3人に1人がこのために欠席したという。とし子は資産家の娘であったので、名のある病院に入院し、主治医は名医といわれた二木謙三博士で、当時としては最高の治療を受けることができた。
先の1月4日の手紙には、とし子が「伝染室」に入れられているとあり、「医員の注意は殆んど集中し居り候由決して御心配無之候」とある。
このスペイン・インフルエンザの災害については、後になって統計などでその被害の大きさが知られたが、当時は報道といえば新聞しかない時代であったため、この新型インフルエンザの恐怖について人びとは意外に気づいていなかった。当時はまだコレラ・赤痢・腸チフス・痘瘡の四種伝染病が最大の恐怖の対象であった。
宮沢賢治も妹が腸チフスでなかったことに安心し、このインフルエンザが前代未聞の死亡率の伝染病であるという認識はなかった。したがって、賢治の手紙には東京におけるインフルエンザ流行の世相を伝える文面はとくにないが、大正8年1月23日の手紙では、「近頃又感冒流行にて病院にも入院者大分増し申し候」とある。そして、先の1月4日の手紙に次のように書いている。
「尚私共は病院より帰る際は予防着をぬぎ、スプレーにて消毒を受け帰宿後塩剥(えんぼつ)にて咽喉を洗ひ候。勇々御心配被下間敷候。」
「塩剥」とは塩素酸ナトリウムの俗称で、うがい薬として使われていた。病院の「伝染室」の出入りには専用の予防着をつけ、消毒していたことがわかる。
また1月28日の手紙では、「当地は感冒流行の噂は聞き侯へども成程と思ふ様の事には未だ会はず候。但し往来には仁丹を少しつヾ噛み、帰宿後は咽
喉を潅ぎ」と書いている。賢治がマスクをしていたかはわからないが、うがいをしていたことがわかる。
それにしても、科学者の一面をもつ宮沢賢治の父親あての45通の手紙は、おそらくスペイン・インフルエンザの症状について素人が記したもっとも精細な病歴(カルテ)であり、医療史の貴重な資料といえる。
あの松井須磨子の自殺事件は賢治の滞京中であったが、手紙には記されていない。病室の妹の両便の始末までしていた賢治は世間的事件などに関心が及ばなかったのかもしれない。2月下旬とし子が退院すると、3月上旬とし子をともなって花巻に帰っていった。
さて、今日でもインフルエンザといえばまず「マスクとうがい」である。
90年前、宮沢賢治は東京の街角のどこかに貼られていたこのポスターを目にしていたのではないだろうか……。
スペイン・インフルエンザの予防ポスター
内務衛生局編『流行性感冒』大正11年より
(速水融氏の厚意による)
Vita 2009/7・8・9
通巻 No.108
北里大学名誉教授
立川昭二
癒しの美術館 43
― posted by 大岩稔幸 at 09:45 pm
2009/6/13
カテゴリー » 医 学
― posted by 大岩稔幸 at 12:15 am
2009/6/6
カテゴリー » 全 般

この4月から介護保険の認定の方法がかわりました。変更された内容が明らかになると、多くの利用者やその家族、介護関係の団体、施設の事業者などから 「高齢者介護の生活実態に即した改定とはいえない」という不安や不満、怒りの声が上がりました
その波紋の広がりに厚生労働省は施行直前の3月24日、新しい調査基準の一部見直しを発表しましたが 「修正は表現を変えただけで不十分」と批判の声はおさまらず、導入してわずか数日で「経過措置」という異例の対策を講ずる羽目になっています。
政府は「介護給付の適正化」により介護保険の信頼性を高め持続可能な介護保険制度制度を構築していく」と説明してきました。政府のいう「介護給付の適正化」とは「不適切な給付を削減し、適切なサービスを確保する」となっています。
しかし先ごろ共産党小池議員が入手し発表した厚生労働省の内部文書により、国の狙いが「適切なサービスの確保」ではなく「要介護認定調査の変更」による給付費の削減だったことが裏付けられました。
公表された内部資料(要介護認定平成21年度制度改正案)には要支援2と要介護1の認定の割合が 「当初想定していた割合7対3にならず5対5になっている」として、要支援2と要介護1の割合が想定していた7対3になるように軽度の人を増やす方針が明記されています。認定度がかるくなれば給付の削減につながることは明らかです。
次に要介護認定の度合いを軽くする仕組みについて解説します。
ひとつは調査員が申請者に聞く調査項目を82項目から74項目に減らして介護度が軽く出るようにしたことです。
以前から1次判定では認知症の人が軽く判定される傾向にあると云われてきましたが、今回の改定ではそれがますます顕著になっています。
削除された項目に「火の始末」があります。これは命にかかわり、近所の住民に不安を与え、家族には目の離せない行為です。
「幻視・幻聴」によって夜中の徘徊行為も生じます。水分補給も命にかかわります。「飲水」もなくてはならない項目です。削減された項目はいずれも2次判定で重視されてきた項目ばかりです。
二つめは聞き取り調査の判断基準です。これも変えられました。たとえば寝たきりのため「移動」や「移乗」のできない人は「介助されていない」にチェックが入ります。薬の服用では、3月までは飲む時間を忘れたり、飲む量が分からない人は「全介助」でした。4月からは「適切に薬を飲めていない」場合でも 「介助されていない」です。
今回の判定基準の変更には、調査にたずさわる専門家のみなさんから「これでは申請者の実態が反映されない」と批判の声があがっています。
三つ目は審査委員会の権限の問題です。介護サービスを利用するためには市町村の担当窓口に申請します。調査員による聞き取り調査を受けます。その結果をコンピューターに入力します。これが1次判定です。
次に保健・医療・福祉の専門家3人以上で構成する介護認定審査会が、1次判定に基づいて訪問調査員の特記事項と主治医の意見書を加え、申請者の生活の全体像を把握し判定します。これが2次判定です。
この二つの段階を経てサービスが利用できるようになります。
この2次判定は「1次判定を修正・確定し、必要に応じて1次判定の変更を行う」ことのできる唯一の場です。3月までは審査会の2次判定で要支援・要介護に振り分けていた作業が、要支援2と要介護1の割合が想定していた7対3にならない原因は介護認定審査会にあるとして、今回の改定から判定作業をコンピューターに任すなど審査委員会の権限が大幅に引き下げられました。
適正化と称して介護給付を削減し、これが世論の追求にあい「経過措置」をとらざるを得ない始末になっています。介護保険制度をコンピューター任せにせず、利用者やその家族の介護と生活の状況に合わせて十分に介護が行き届く制度にしていかねばなりません。
おかしいと思ったら黙っていないで声を上げていくことが大切です。「適正化」などという大本営発表のような言葉に騙されてはいけない。
― posted by 大岩稔幸 at 10:51 pm
カテゴリー » 時評
女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率が、厚生労働省の人口動態統計で3年連続の上昇となった。
上がったとはいえ、08年は1.37、07年は1.34、06年は1.32と、依然人口維持に必要なレベルにはほど遠い。
05年の1.26を底とする深い谷から、辛うじて脱しつつあるというところだろう。
年齢別でみると、出生率の全体の上昇分の6割までを30代が占めている。職場でいえば中堅で、責任も重くなる世代だ。
晩婚、晩産化が進んでいる。この流れは30年以上にわたり続き、ますます加速している。キャリアを積んだ女性がいつでも安心して出産に踏み切れるような支援態勢が欠かせない。
出生率は上がったものの、出産世代の女性の人口は減少している。出生数から死亡数を引いた人口の自然増減数は、過去最大のマイナスとなった。少子化に歯止めがかかったとみるのは早計だ。
背景の一つに未婚率の高さがある。05年の国勢調査によると、30代前半の男性の47%、女性の32%がこれまで一度も結婚を経験していない。
社会が豊かになり、多様な選択肢を得たことも非婚が増えた理由の一つだ。とりわけ女性が経済力をつけ、男性に経済的に依存しなくても生活できるようになったことの影響は大きい。
景気の状況も出生率を左右させる要素だ。昨年秋以降の経済危機で雇用情勢は急速に悪化した。
子育てに専念していた女性が家計を支えるため、再就職を余儀なくされるケースも増えている。出生率を改善するには、子育て家庭への生活支援を強化することも必要だろう。
働く女性の多くが「仕事か子育てか」の二者択一を迫られる状況も改善されていない。出産を先延ばしにしてきた、いわゆる「アラフォー」(40歳前後)の犇遒厩み出産瓩眩えてきている。
女性が望んだときに、安心して出産に踏み切れる環境が用意されていることが理想だ。晩婚・晩産化の進行は、理想と現実との乖離を象徴しているともいえるのではないか。
少子化に歯止めがかからないのはなぜか。当事者たちの切実な声にもっと耳を傾ける必要がある。
― posted by 大岩稔幸 at 12:40 am
2009/5/24
カテゴリー » 医 学

新型インフルエンザの感染が広がっている。各国で報告されているように病原性は低いようだが、国内ではパニックに近い状況になりつつある。落ち着いて現状を評価し、次の手を打つべきだ。
政府の対策は、高病原性鳥インフルエンザの人への蔓延という最悪のシナリオを前提にして作られた。東南アジアで鳥インフルエンザがまん延していることを考えれば、そのこと自体は間違っていなかったと思う。
ただ可能であれば、感染の広がりだけでなく、病原性のレベルに応じた複数の対策を作っておけばよかった。
歴史を振り返ると、インフルエンザの世界的流行(パンデミック)には、非常に被害が大きかった「スペイン風邪」もあれば、それよりも被害の少ない「アジア風邪」や「香港風邪」もあった。
一方、致死率が60%を超える現在の鳥インフルエンザのような病原性の極めて高いインフルエンザがパンデミックを起こしたことは、少なくとも20世紀にはなかった。
そうした事実を踏まえ、感染の広がりに加え、重症度がこの程度ならこういう対応を取るという、複数段階のレベル別の対応指針を作っておくべきだった。
きめ細かな道筋が決まっていたならば、最悪のシナリオと現実とのギャップに苦しむこともなく、混乱を招くことはなかったと思う。欧米で混乱が起きていないのはそういう柔軟な対応ができているからではないか。
一部の医療機関で診療拒否が起こったのは、最悪のシナリオだけが示されていたために、見えないものに対する恐怖が先行してしまった側面があるように思う。
今後は対策を修正して、現実に見合った対応をしていかなければならない。それには、このウイルスの特性、病気の状態をきちんと解析しなければならない。
入院した人がどのような経過で改善したのか。あるいは重症の人はなぜそうなったのか。臨床の専門家が現実の患者のデータを解析して、このインフルエンザのリスクを評価する必要がある。
それに基づいて現実の対応を考えなければならない。もちろん個人がマスクや手洗いなどで感染を防御するという基本はどのシナリオでも同じだ。だが行動制限など社会の危機管理は変わる。
リスクを評価し、病原性が低いと分かったら、それに応じて医療態勢を決めなければならない。その際、感染が広がっているのに、熱の出た人は全員、発熱外来に行くことにすると、パンクしてしまう。
病原性が低いなら、軽症の人は一般の開業医に診てもらうことも可能になる。その態勢を保ちつつ、重症化する人をターゲットにした対応に持って行かねばならない。
そのためにはすべての医療機関の参加が必要だ。大病院の一部は重症の人を引き受ける。インフルエンザ以外の重症患者を診る病院もなければならない。開業医は自分の患者を守りながら、発熱外来を支援する。そんな態勢が求められる。
仙台市では百を超える医療機関が参加し、全国に先駆けて、発熱外来をみんなで分担していく動きが出ている。冷静な判断であり、それが医療従事者の務めだと思う。
秋には病原性の高いインフルエンザに変わるかもしれない。おびえるのではなく、どの程度のリスクかを確実に把握し、社会で共有しないといけない。さもないと、再び訳も分からないまま右往左往することになる。
東北大教授 賀来満夫
かく・みつお 53年大分県生まれ。専門は感染症学・感染制御学。99年から現職。厚生労働省院内感染対策中央会議メンバー、世界保健機関(WH0)新型肺炎(SARS)インフルエンザ対応外部専門家を兼務。
レベル別の指針必要
リスク把握し混乱防げ
2009年5月20日
高知新聞 夕刊
― posted by 大岩稔幸 at 11:53 pm
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