なぜかメディアは少年犯罪の減少を大きく取り上げないが、平成17年度版犯罪白書によると、少年による殺人件数は前年比35%減、強盗件数も28%減である。そればかりでなく、傷害21%減、恐喝24%減という数字が目を引く。殺人、強盗を始めとする暴力的犯罪の数は、暗数の多い窃盗や横領ほど警察の検挙姿勢に左右されることがないので、少年犯罪の実情を取り上げる際の目安になる。シンナー、覚せい剤の長期低落傾向にも疑問の余地はない。
なかでも歴然としているのは暴走族の衰退である。昭和57年のピーク時3万人台を数えた少年人数は平成17年では7000人台である。それでもグループ数は937もあるということだから、小規模化は甚だしく、暴走らしい暴走の実数となると絶滅に近いのではないかと思われる。
暴走族の衰退には、社会側の要因と、子ども側の要因とが考えられる。社会側の要因としては、暴走族の上部団体と考えられてきた暴力団が、1992年に施行された暴力団対策法により、20歳未満の少年たちを組織に勧誘したり、加入を強要したり、脱退を妨害することができなくなったことが挙げられる。
もともと若者文化のなかには、はみ出し文化つまりアウト・ローがしっかりとあって、イン・ロー対アウト・ローという二極がはっきりしていた。かつての家出は、組事務所に拾われる形で終わることも多く、家出とアウト・ローはほとんど同義であった。
暴走族はといえば、かつては総長を中心に、親衛隊長、特攻隊長などと役割が割り振られてそれなりに組織立っていた。中学校の番長とのつながりも濃く、番長グループが一般生徒から恐喝行為をおこなって、その金を暴走族に上納するという図式も珍しくなかった。暴走族で鳴らした少年は、しばしば暴力団にスカウトされるから、若者における反社会性の縦軸は、割合、明瞭だった。しかし、この暴力団対策法あたりから、少年が思い切って家出したものの、組事務所で説得されて自宅に戻る例が見られるようになってきた。
暴走行為については刑事罰が強化され、行政処分も重くなった。検挙されれば免許取り消しは当然のこと、暴走行為に伴う違反がすべて累積され、二年も三年も免許が取れなくなった。ただ走りたいだけ、というバイク好きの少年にはこれが痛かった。
刑事政策上の要因を挙げたが、子ども側の要因こそ大きいだろう。子どもたちは群れることを好まなくなり、ましてや、上意下達が原則の暴走族において先輩からの理不尽な言いつけに従うことなど馬鹿らしいと考えるようになった。親子関係が悪くて家庭に居場所がない場合も、暴走族に入るより、ゲームセンターで好きなゲームに熱中している方が気楽だと感じるようになったのである。
問題は、若者文化のなかから暴走族や番長たちが消えて、反社会性という軸が無くなり、社会に正邪硬軟とりどりの情報が、優先順位抜きにちりばめられたとき、それにさらされた子ども達にどのようなことが起きるか、である。
自分は無法者ではない、というためには無法者が存在することが前提である。つまり、「何をしでかすか分からない」とレッテルを貼られた人がいることによって初めて、「自分はしてはいけないことと、してよいことの区別をつける人間である」という自己認識を持つことが可能になる。
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そのように考えていくと、反社会性を体現する者たちの衰退は、一般の人間のなかの「何をしでかすか分からない」部分を、活性化してしまうように思えてくる。
ローティーンを心身の発達という観点から見るとき、その体が突然、男らしくあるいは女らしくなり、心は自己像を求めて常に不安定となる。些細なことで腹が立ち、些細なことで有頂天になり、些細なことで悲しくなる。あるときは倣慢、あるときは卑屈、それがひとりひとりのなかで起きるのであるから、集団になると、それはもう大変である。そこで傷つけあいが起こるのは、助け合いが起こることより頻度が高かろうことは容易に想像できる。
「俺はワルだ、お前たちとは考え方が違うのだ」と、学校の秩序に正面きって歯向かう輩は、今や絶滅に等しい。だから今、教室はどこも、表面的には均質な雰囲気を漂わせて序列化や差別化を許さない。しかし、傷つけあいはどうしても起こってしまうから、その姿は陰湿になるばかりである。
心と社会 No.127 2007
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