当世医学生気質

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 我々の頃は,卒業したらすぐに医局に入る時代。講義では、大学の教官から近くの開業医や病院から送られてきた症例をいかに上手に自分たちが治療したか、と言う話も結構聞かされた。そのためか,学生の胸の内には大学に残ることこそが本懐であり,それが果たせられない時には,ジッツ(関連病院)の大きな公的病院で腕をふるいたいものだと純粋に考えていた。

 そのような講義を受けているせいか、開業医になりたい公言する者は、一部の変わった人を除いて、あまり思わないものであった。親が開業をしていても「跡を継ぐ」とあえて言う者はあまりいなかった。

 この傾向は我々の大学だけでなく、一般的な傾向であったと思われる。

 小説「白い巨塔」でも,浪速大学の東教授が自分の退官後、跡継ぎに助教授の財前五郎を据えるか、どうするか、と言うことと、自分の娘、佐枝子の縁談がリンクしてドラマが進むのであるが、その中で、佐枝子が「私、人物が立派であれば、開業している先生と結婚しても良いと思っている」と父親の東教授に言う場面がある。それに対して、東は「開業医などと…」と絶句して吐き捨てる下りがある。これは、この時代を考えると特段変わった話ではなく、私が学生のころは、かなりこの話は尊大な話ではあるが、医学生であれば実によく分かる話であったように思う。

 つまり、医師には明瞭な序列があった。1番:大学、2番:大きな病院の勤務医、3番:開業医

 幸か不幸か、今やそのような序列は昔話、平成16年から新臨床医制度が始まったことをきっかけに、若き医師の価値観が一変したように思う。昼も夜も患者に追われて寝るヒマもなく働くような、内科、産婦人科、小児科、脳外科などという科を専攻するより、マイナーな科、というか楽な科を専攻する傾向が強くなった。これも2年間一般病院で、「現実」を見るせいでもあるが、内科,産婦人科,小児科,脳外科は新人が入らなくなるので、人手不足でますます業務が大変になるという、悪循環に陥っている。

 公的基幹病院は今や絶滅種であり、きついし、給料は安いし、今や魅力が全く感じられなくなったようだ。

 我々の頃には、大きな公立病院の科長といったら、高い技術と豊富な症例数を持っていて、中には大学の教官連中を圧倒するドクターもいて、それはそれで輝いて見えたものだ。

 我々の頃は、今、不足して問題になっている産婦人科については、女性の局部を専門とする科であり、ちょっと特殊な感じがあるが、外科系希望でメスを振るいたい、と考える者は必ず検討はしていたし、新しい生命の誕生に関わる感動的な面を持つ科であると認識していた。特に忙しい科であるという認識などなかった。いや、むしろ、忙しいほど人生の誉れである、と気負っていたくらいだ。「楽な科に進みたい」という奴もいたが、そんなことを言ったら、「気合いの足りない奴」と人格を疑われ、皆から一蹴されるのが関の山であった。

 今や、救急の負担の軽い、皮膚科、眼科、精神科などに人気があるようで、一方、産婦人科などは訴訟が目の前にぶら下がる非常に危険な科であり、悪くすれば逮捕、監禁されることも他人事ではなくなった。

 学生の気質はなぜここまで変わったか、ということを考えると、やっぱり医師を取り囲む環境である.

 我々の頃は、訴訟などもあったが、まだまだこれほど多くはなく、また、医療行為に関して警察が動くと言うことはなかった。今や、病院で人が、医師や家族の者の予想に反して死んでしまったり、障害が残ったりするとすぐに訴えられたり、警察に業務上過失致死,過失傷害で逮捕されることも珍しくはなくなった。

 医師に対して、世間は不当に高いモラルを求めるようにもなった。当直でちょっと酒を飲んだりすると、そのことが問題にされてしまう。24時間365日がいわば臨戦態勢の医師にとって、息抜きだって必要だし、夜に酒を飲むことだってある。しかし,その時に患者が来て酒臭ければ問題にされてしまい、懲戒を食らった医師もいる。

 また、プライマリーケアーを学ばせる、と厚生労働省の肝入りで始まった新臨床研修医制度であるが、結局は今まで記述した医療の「もうひとつの側面」を研修医にまざまざと見せつける2年となり、産科、小児科を希望する医師がこの2年間で希望を変更することも多いようだ。

 このような環境変化が学生の気質をも変化せしめた。問題は、このような変化が社会にとって好ましい方向にあるかどうかである。

 残念ながら、非常に悪い方向に向かっていると考えざるを得ない。地域医療、救急医療を担う、公的、準公的病院は人手不足にあえぎ、どんどん業務を縮小している。産婦人科を志望する者は極端に減った。10年もすれば、分娩を扱う産婦人科医は、人間国宝並みに希少な存在となるだろう。

― posted by 大岩稔幸 at 03:39 pm

地震の教訓

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 エコノミークラス症候群という突発的な病気が、一般に知られるようになったのは、さほど古い話ではない。海外旅行で空港に着いた途端、呼吸困難に陥って意識を失ったり、時には命を落としたりする。

 飛行機の座席に長時間、同じ姿勢で座っていると、脚の静脈の血流が停滞、血栓ができやすくなる。飛行機を降りて歩きだすことで血流がよくなり、肺動脈に流れ込んだ血栓が血管を詰まらせて起こるという。

 サッカーの高原直泰選手が、この病気で、2002年のワールドカップを棒に振ったことを思い出す人も多いだろう。広く知られるきっかけになったが、発症が何も航空機に限らないことを、私たちは04年の新潟中越地震で、あらためて知った。

 車で寝泊まりしていた被災者に、この病気で死亡する例が相次いだのである。狭い場所で窮屈な姿勢でいるのが原因だった。手術後、患者をできるだけ早く歩かせるのも、血栓を防ぐ理由からだろう。

 今度の能登半島地震で、石川県は予防冊子を配布して注意を呼び掛けているが、避難所生活を送っている被災者を、テレビで見ても、足踏みをしたり互いに肩をたたき合うなどしている様子が映し出されている。中越地震の教訓が生かされているといってよい。

 被災地にはボランティアも続々入っているようだ。被災者と向き合う中で、彼らは、多くの課題を見つけ出すはず。これを新たな教訓に、災害時の避難生活を日常の暮らしに近いものにしていく。これが行政の務めでもある。


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2007年3月30日高知新聞
小社会

― posted by 大岩稔幸 at 09:34 pm

無責任男の活力

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 駐車場で、男が車をバックさせていると、植木等さん演じる主人公がやってきて「オーライ、オーライ」。親切に誘導を始める。真に受けた男が言われるままバックさせると、後ろの車にどすん。男が「この野郎」と窓から顔を出した時には、主人公は一目散に逃げている。

 一世を風靡(ふうび)した映画、無責任シリーズの一場面だ。「スーダラ節」という人を食ったような歌といい、それまでの大衆芸能にはなかったギャグとキャラクターで、笑いの新時代を告げるかのようだった。

 その植木さんが亡くなった。植木さんを国民的人気者に押し上げた「スーダラ節」は1961年。翌年から無責任シリーズが始まっている。「高度経済成長下の管理社会での下級サラリーマンの悲哀を自嘲(じちょう)的、爆発的に歌と体で表現した」(キネマ旬報・日本映画俳優全集)。

 とはいいながら、そんな無責任男が会社の危機を救ったりして思わぬ出世をしていくのだから、そこには夢もあった。多くのサラリーマンがこれらの映画に憂さを晴らし、あすへの活力としていったことだろう。

 失われた10年を経て低成長時代へ。その間、サラリーマンたちは猛烈社員、ダメ社員、企業戦士、窓際族―。毀誉褒貶(きよほうへん)、さまざまに呼ばれながら、厳しい企業社会を生き抜き、今、大量退職時代を迎えている。

 青少年期から植木さんの映画や歌に親しんできた団塊世代が退職を始める時に、サラリーマン生活を見届けるように生涯を閉じた。無責任どころか、責任を全うした人生だった


ssmile

scrazy









2007年3月29日
高知新聞 朝刊
小社会

― posted by 大岩稔幸 at 08:01 pm

ローティーンの非行

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 一般社会をみると、この15年間ほどで未曾有のネットワーク社会が成立し、われわれは好むと好まざるとにかかわらず、情報の氾濫のなかで生活することとなった。すでに経験を積んで批判力が十分に備わった人間にとっては、この社会で情報を取捨選択することはそれほど困難ではない。問題は子どもたちである。彼らは判断基準も批判力も十分に持たないから、入ってくる情報をそのまま鵜呑みにしてしまう。

 例を挙げよう。母親との口げんかのあと、「携帯電話が欲しい」とパソコン画面に入力したところ、あれよという間に、多数の援助(交際)の申し出が集まり、「30分でいくら?」と時給を定めて、そのまま実行した14歳の少女がいた。罪悪感や恥の感覚がまったくないことに衝撃を受けた両親は、知人の勧めで家族療法を受けたが、少女にはまったく通じなかった。後にこの少女については「アスペルガ一障害」が診断されたのだが、驚いたのは、「時給」感覚で売春行為を行うのが、この少女に限らなかったことである。

 別の例では、パソコンに「性的いたずら」と入力して、そこにあったマニュアルどおりに女児に対する強制わいせつ行為をおこなった15歳の少年がいた。この少年は、知能は高いけれども友人はひとりもおらず、学校に行かずに自室でパソコンに向かうか、本屋かゲームセンターで暇をつぶしていた。

 インターネットは情報の宝庫であるが、厄病神の側面も持つ。親からは、「得意なことを見つけよ」とお尻を叩かれたり、自立を迫られたりするのであるが、溢れかえる多くの情報のなかから、何をどうやって選択しようか、と若者たちは迷い、混乱する。

 なかでも、社会性やコミュニケーション能力、想像力に障害があって頑固なこだわり行動を示す自閉症スペクトラム障害の子どもの場合は、「興味を持つこと」と「実行すること」との間にあるべきチェック機能がすこぶる弱い。冒頭に挙げたふたりの触法少年もそうであった。心地よい居場所と、好きな作業が見つかればよいが、どちらも得られず孤立してしまうと、対人関係に憧れてアダルトビデオの模倣が行われたり、理科実験や人体実験のような犯罪が行われたり、さらにはメディアを賑わす理解しがたい動機による殺人が実行されたりするのである。

 問題は、若者文化のなかから暴走族や番長たちが消えて、反社会性という軸が無くなり、社会に正邪硬軟とりどりの情報が、優先順位抜きにちりばめられたとき、それにさらされた子ども達にどのようなことが起きるか、である。
 
 自分は無法者ではない、というためには無法者が存在することが前提である。つまり、「何をしでかすか分からない」とレッテルを貼られた人がいることによって初めて、「自分はしてはいけないことと、してよいことの区別をつける人間である」という自己認識を持つことが可能になる。 
         
 そのように考えていくと、反社会性を体現する者たちの衰退は、一般の人間のなかの「何をしでかすか分からない」部分を、活性化してしまうように思えてくる。

 ローティーンを心身の発達という観点から見るとき、その体が突然、男らしくあるいは女らしくなり、心は自己像を求めて常に不安定となる。些細なことで腹が立ち、些細なことで有頂天になり、些細なことで悲しくなる。あるときは倣慢、あるときは卑屈、それがひとりひとりのなかで起きるのであるから、集団になると、それはもう大変である。そこで傷つけあいが起こるのは、助け合いが起こることより頻度が高かろうことは容易に想像できる。

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心と社会 No.127 2007
38巻1号

― posted by 大岩稔幸 at 01:19 pm

暴走族の衰退

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 なぜかメディアは少年犯罪の減少を大きく取り上げないが、平成17年度版犯罪白書によると、少年による殺人件数は前年比35%減、強盗件数も28%減である。そればかりでなく、傷害21%減、恐喝24%減という数字が目を引く。殺人、強盗を始めとする暴力的犯罪の数は、暗数の多い窃盗や横領ほど警察の検挙姿勢に左右されることがないので、少年犯罪の実情を取り上げる際の目安になる。シンナー、覚せい剤の長期低落傾向にも疑問の余地はない。

 なかでも歴然としているのは暴走族の衰退である。昭和57年のピーク時3万人台を数えた少年人数は平成17年では7000人台である。それでもグループ数は937もあるということだから、小規模化は甚だしく、暴走らしい暴走の実数となると絶滅に近いのではないかと思われる。

 暴走族の衰退には、社会側の要因と、子ども側の要因とが考えられる。社会側の要因としては、暴走族の上部団体と考えられてきた暴力団が、1992年に施行された暴力団対策法により、20歳未満の少年たちを組織に勧誘したり、加入を強要したり、脱退を妨害することができなくなったことが挙げられる。

 もともと若者文化のなかには、はみ出し文化つまりアウト・ローがしっかりとあって、イン・ロー対アウト・ローという二極がはっきりしていた。かつての家出は、組事務所に拾われる形で終わることも多く、家出とアウト・ローはほとんど同義であった。

 暴走族はといえば、かつては総長を中心に、親衛隊長、特攻隊長などと役割が割り振られてそれなりに組織立っていた。中学校の番長とのつながりも濃く、番長グループが一般生徒から恐喝行為をおこなって、その金を暴走族に上納するという図式も珍しくなかった。暴走族で鳴らした少年は、しばしば暴力団にスカウトされるから、若者における反社会性の縦軸は、割合、明瞭だった。しかし、この暴力団対策法あたりから、少年が思い切って家出したものの、組事務所で説得されて自宅に戻る例が見られるようになってきた。

 暴走行為については刑事罰が強化され、行政処分も重くなった。検挙されれば免許取り消しは当然のこと、暴走行為に伴う違反がすべて累積され、二年も三年も免許が取れなくなった。ただ走りたいだけ、というバイク好きの少年にはこれが痛かった。

 刑事政策上の要因を挙げたが、子ども側の要因こそ大きいだろう。子どもたちは群れることを好まなくなり、ましてや、上意下達が原則の暴走族において先輩からの理不尽な言いつけに従うことなど馬鹿らしいと考えるようになった。親子関係が悪くて家庭に居場所がない場合も、暴走族に入るより、ゲームセンターで好きなゲームに熱中している方が気楽だと感じるようになったのである。

 問題は、若者文化のなかから暴走族や番長たちが消えて、反社会性という軸が無くなり、社会に正邪硬軟とりどりの情報が、優先順位抜きにちりばめられたとき、それにさらされた子ども達にどのようなことが起きるか、である。
 
 自分は無法者ではない、というためには無法者が存在することが前提である。つまり、「何をしでかすか分からない」とレッテルを貼られた人がいることによって初めて、「自分はしてはいけないことと、してよいことの区別をつける人間である」という自己認識を持つことが可能になる。 
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 そのように考えていくと、反社会性を体現する者たちの衰退は、一般の人間のなかの「何をしでかすか分からない」部分を、活性化してしまうように思えてくる。

 ローティーンを心身の発達という観点から見るとき、その体が突然、男らしくあるいは女らしくなり、心は自己像を求めて常に不安定となる。些細なことで腹が立ち、些細なことで有頂天になり、些細なことで悲しくなる。あるときは倣慢、あるときは卑屈、それがひとりひとりのなかで起きるのであるから、集団になると、それはもう大変である。そこで傷つけあいが起こるのは、助け合いが起こることより頻度が高かろうことは容易に想像できる。

「俺はワルだ、お前たちとは考え方が違うのだ」と、学校の秩序に正面きって歯向かう輩は、今や絶滅に等しい。だから今、教室はどこも、表面的には均質な雰囲気を漂わせて序列化や差別化を許さない。しかし、傷つけあいはどうしても起こってしまうから、その姿は陰湿になるばかりである。

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心と社会 No.127 2007

― posted by 大岩稔幸 at 11:46 pm commentComment [1]

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