2007/5/12
カテゴリー » 時評
「権利ばっかり主張しないで、義務を果たせ」そんなフレーズをしばしば耳にする。思わずうなずきそうになるが、「まことの憲法講座」を連載した法律家の伊藤真さんは、ちょっと待て、と警告する。
「だって権利に義務なんか伴わない。権利は権利。義務は義務。それぞれ別物です」
伊藤さんは中でも自民党の新憲法草案について「『人権ばっかり主張しないで、国防や愛国の義務を果たせ』という考えが満ちている。これは国民を誤解させるフレーズだ」と言う。先日、こんな例え話で説明した。
「わたしが友達に一万円を貸したとする。わたしには『返せ』という権利がある。相手は返す義務がある。だけど、わたしに義務はこれっぼっちもない。国民に人権という権利があるとき、国の方にこそ『人権を守る』義務がある。国民に義務が伴う、というのはうそです」
伊藤さんが言うように政治の世界で言葉はねじ曲げられ、レトリックが横行するばかりだ。
伊藤さんは国民投票法案について「憲法改正派、反対派の両方にフェアでなければならないのに、圧倒的に改憲派有利。不公正だ」と指摘し続けている。ところが法案はあっという間に衆院通過した。反対や慎重審議を求める声が相次いだ中央公聴会からわずか一週間後のことだ。
公聴会では反対意見を述べる女性に対し、与党議員が「あんまり聞いても無駄かもしれませんけど」などと放言までしている。
耳を傾ける気がないのに「公聴会」。言葉はここでもないがしろにされ、同法案は中身も審議も伴わないまま今週、参院でヤマ場を迎える。
2007年5月8日
高知新聞夕刊
話題
天野弘幹
― posted by 大岩稔幸 at 07:49 am
2007/5/8
カテゴリー » エッセー
オーガズム(英:Orgasm)とは、性的絶頂のこと。オルガスムス(独:Orgasmus)、オルガスモ(伊:Orgasmo)、オルガスム(仏:Orgasme)、アクメ(仏:acm)、オルガスミ(芬:Orgasmi) ともいう。
語源はラテン語の「オルガルスム」で 性交やオナニー、他人による性器への愛撫などにより性感帯を刺激することにより起こる。俗語では「イく」「来る」などともいう。文語では「達する」「果てる」「気を遣る」などと表現されることもある。男性では多くの場合、オーガズム時に射精が起こり、女性では膣口にある括約筋の規則的な収縮などが見られる。
生理的にはくしゃみに似ているとも言われる。オーガズムに伴い陶酔的な幸福感が感じられる。またオーガズムの直前に寂莫感(男性)や恐怖感(女性)を覚える場合もあるとされる。
オーガズムに至るまでの時間は、一般的に男性は短く女性は長い。また、オーガズム後すぐに快感が衰える男性に対し、女性はしばらくの間余韻が残るとされる。これは、男性の場合射精後にプロラクチン(prolactin; 乳腺刺激ホルモン)が放出されるためと考えられている。射精後しばらくのあいだ勃起状態が維持できなくなるのも、血中のプロラクチン濃度が高くなるためである。
男女の性愛において男性の射精後男性の性的興奮が急速に衰える為、その時点で男性が性交渉を中止する場合があるが、女性の方はまだオーガズムに達していないため不満が残ることが多い。これを補うため、女性への労りとして後戯(女性への愛撫や抱擁)がしばしば行われる。
男女ともオーガズムパターンは多く存在し、多くの場合オーガズムの初期レベルは陰茎や陰核(クリトリス)の刺激によって引き起こされ、陰嚢や大陰唇など性器全体に広がる。 男性のオーガズムの場合は射精によるウェットオーガズムと、射精を誘発しない前立腺刺激を主体としたドライオーガズムが存在する。また前立腺ではなくペニスを直接刺激しながらも射精せずに何度でもオーガズムに至る事はマルチプルオーガズムと呼ばれている。 女性の場合はGスポットやPスポットなどと密接な関係がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』オルガスムより
男性のオーガズムは通常射精を伴うが、前立腺刺激などにより、射精を伴わずにオーガズムに至ることも可能であり、これをドライオーガズムと言う。射精を伴うオーガズムをドライオーガズムに対してウェット(濡れた)オーガズムということもある。以上の定義からドライオーガズムは男性のオーガズムにのみ用いられる言葉である。
少年期の性的行為において精液の分泌が出来ない時期の少年のオーガズムは、ドライオーガズムとなる。この理論は複数の性科学者によって支持され、数件の報告がある。
射精をともなうウェットオーガズムが主にペニスだけの快感であるのに比べ、ドライオーガズムはより広範囲の性感帯、時には下半身全体を快感が襲うこともある。多くの経験者によるとドライオーガズムはウェットオーガズムの10倍或いは100倍も強い快感をもたらすと報告している。また一回のオーガズムの時間も長い場合には1分以上も継続する場合もある。さらに射精を伴わない為、性的刺激が続く限り、何度も繰り返してドライオーガズムに達することができる。
多くの男性は少年期から自らペニスを刺激して射精に至ることで快感を得るという、いわゆるペニスオナニーの経験を積んでいる為、性的刺激を続けると通常射精に至るが、多少の練習によりドライオーガズムに至ることが可能である。
ドライオーガズムに達する為の方法について詳しく述べる。いずれの方法にしても慣れるまでは、オーガズムが近づくとペニスに軽く触るだけでも射精してしまうことが多い。射精してしまうと当然のことながらドライオーガズムに達することはできない。従って、最初のうちは出来る限りペニスに触れないように注意を払うことが必要である。ただ、もし射精に至る場合も、通常の射精に比べて非常に強い快感を感じることが多く、咆哮してしまう者も多い。また前立腺を刺激している為に、前立腺液が多量に分泌されるので、射精する精液の量も格段に多くなる。
自分の指で長時間に渡って前立腺を刺激することは、かなり身体の柔らかい人でないと難しいので、Gスポット刺激用のディルドなどを用いると簡単に楽な体勢で前立腺を刺激することができる。また肛門括約筋の収縮により前立腺を刺激するエネマグラという前立腺刺激具を使うと、手で触れずに前立腺刺激を行うことができる。また弱い電流を前立腺に流してドライオーガズムを誘発する器具も何種類か販売されている。
エネマグラは米国で開発された前立腺マッサージ器具だが、前立腺を刺激することで比較的容易にドライオーガズムを得られることが分かり、今では前立腺オナニー器具として広く知られるようになった。肛門括約筋の運動により、前立腺、アヌスそして会陰部の三箇所を同時に刺激してドライオーガズムに至ることができる。
また、直腸から前立腺を刺激する方法とは別に、前立腺初期化と呼ばれる尿道から前立腺を刺激する方法がある。前立腺は膀胱直下の尿道を取り囲んでいるので、尿道にカテーテルなどの細長い弾性体を挿入すると、尿道を介して前立腺を刺激することができる。但し、この方法は尿道を傷つける恐れがあり、また手指、ペニスおよびカテーテルの消毒が不完全であると尿道炎や膀胱炎などの細菌感染を起こすので、危険性を十分に理解した上で行わなければならない。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ドライオーガスムより
オーガズム(オルガスムス、アクメ、エクスタシー)という言葉が日本に上陸してから、もう随分長い時間が経過した。しかし、不思議なことに、そこには依然として定義が存在しない。だから、オーガズムを議論したり、科学的実験をしたり、統計的な調査をしたり、カウンセリング、セラピーが行われても、行き着くところは矛盾の泥沼なのだ。70数年前、ヴァン・デ・ヴェルデは、オーガズムのない性行為は女性の身体に対する重大な侵害であると提唱した。しかし、そこにも、オーガズムの定義は存在しなかった。オーガズムには定義など必要ないのだろうか。もしそうだったら、性環境はここまで混乱するはずはない。何か根本的なところに大きな見落としがあるのではないだろうか。
― posted by 大岩稔幸 at 10:42 pm
2007/5/6
カテゴリー » エッセー
世の男性という男性は例外なく乳房コンプレックスなる病気の患者かもしれない。乳房コンプレックスは、しかし現代に始まったことではない。人類の発生以来、男性がつねに乳房コンプレックスがあったことは、ギリシア・アルカイク期のさるアポローン像がこれを証明している。そのアポローン像には股間の男性のシンボルと同時に、女神像に勝るとも劣らない堂々たる乳房があるのである。
かつてニューヨーク滞在のおり、後学のためポルノショップなるものを覗いたが、そこで私はアルカイクのアポローンの隔世遺伝とでも呼ぶべきものにお目にかかった。
さすが名にしおう男女同権のお国柄だけあって、店内には、女性の肉体の写しだけでなく、男性の肉体の写しまでが売られている。ところで、その男性の肉体の写しであるが、写真はともかくイラストのそれは、乳房がまるで女性のそれのように、うずたかく隆起しているのである。
ボディビルの本家本元だから、胸筋の発達ととってとれないこともないが、いかんせん大げさすぎる。これは要するに、ミスター・ポルノの乳房をかくも隆々と盛り上がらせているものは、ボディビルの流行であるよりも、男性の内なる切実な乳房羨望である、というべきであろう。
人間生理学的にもこのことは証明ずみで、肉体の歴史のかなたの男性・女性未分化時代には、男性にも女性のそれと同じく豊満な乳房があったとされている。男性が女性から分化して、いわゆる男性化をしだいに進めるにしたがって、乳房は反比例的に小さくなって、いまやかつての偉大なる乳房時代の寂しい記念碑程度にしか残っていない。しかし、小さければ小さいほど、男性の内なる「失われた乳房を求めて」の願望は強いはずである。
女性にとって乳房は育児のための栄養工場および貯蔵庫であるとともに、もうひとつの部分と勢力を二分する重要な性感センターである。
では、男性の乳房は退化しきった無用の長物かといえば、育児に役に立たないことはいうまでもないが、性感については必ずしもそうとはいいきれない。男性のいじらしいほど小さな乳房にも、性感があることは、事実である。いかに小さくとも、創られたものはそれなりに、存在理由があるものだからである。
― posted by 大岩稔幸 at 11:35 pm
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