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烏合の衆

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熊野牛王符。(熊野速玉大社)

〈月落ち烏(からす)啼(な)いて霜天に満つ〉で始まる唐代の詩人張継の「楓橋(ふうきょう)夜泊」。この広く知られている漢詩をめぐって、かつて「カラスは夜半に鳴くのかどうか」が論争になったことがある。

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鳥類研究者によると、カラスは夜でも鳴くそうだ。特に夜半、単独で遅れてねぐらに戻ってきたカラスは、必ず鳴き声を発するという(「カラスの早起き、スズメの寝坊」)。「おーい帰ったぞ」か「遅くなってごめん」かは分からないが、帰還を知らせているのだろう。

とすると、ねぐらにいるカラスは鳴き声で相手が分かることになる。それを裏付けるような研究結果を慶応大のグループがまとめた。実験で、声と姿を結びつけて仲間を認識していることが明らかになったという。

いたずら好きで、計算力があり、高い学習能力で人間との知恵比べにやすやすと勝ってしまう。そんな賢いカラスのことだ。優れた視覚と聴覚を生かし、「他者」という概念をつくり出すことぐらいは朝飯前のようにも思える。

規律や統制がなく、ただ集まっている様子を表す「烏合(うごう)の衆」という言葉が登場するのは5世紀の中国の歴史書。ちゃんと識別して仲間が集まっているカラスにしてみれば、長い間つきまとった「ぬれぎぬ」ではある。

カラスは不本意でも、「烏合の衆」は死語になりそうにない。「勝手でしょ」とばかりに、統制が全くとれていない政党の姿を見せつけられる毎日。

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http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=zDl_0gOUejU Link
http://www.youtube.com/watch?v=kos7x2oNygA&feature=relmfu Link
http://www.youtube.com/watch?v=6YzkDRvYAzE&feature=relmfu Link

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高知新聞小社会
2012年04月08日07時56分

― posted by 大岩稔幸 at 10:34 pm

大きな車

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 高名な自動車評論家である徳大寺有恒さんが、60歳を過ぎてから「年を取って、大きな車が少々しんどくなってきた」と書いているのを見て、元プロレーサーにしてこうかと、妙な感心をした記憶がある。

 むろん、氏の言う「大きな車」の基準は私たちとは異なろうが、加齢とともに身体能力が低下するのは誰にも避けられない。近年は高齢者が加害者側になる交通事故も増えている。

 高齢ドライバーの特性として、身体能力の低下とともに挙げられるのが、とっさの判断力だ。危険を認識してから止まるまでの距離が長くなる。右折時など、対向車の速度を見誤ることが出てくる。

 意識と運転のズレも指摘される。高齢者は概して免許歴が長く、自身の運転に自信と誇りを持っている。これが一番の盲点のようで、ここは徳大寺さんに倣い、身体能力の低下を自覚することから始めよう。

 高齢者であることが一目で分かる新しいマークがスタートした。「枯れ葉みたい」と評判の悪かった爐發澆賢瓩ら、四つ葉のクローバーをモチーフに、若々しい緑や豊かな人生経験を表す黄などを配したものに変わった。

 対象は70歳からだが、県内の65歳以上のドライバーは10万2千人。団塊世代が加われば、さらに多くなろう。掲示は努力義務とはいえ、マークをつけていれば周囲の車も注意してくれる。「年寄り扱い」などと言わず、自らを守るためと割り切りたい。










高知新聞
小社会
2011年02月02日08時24分

― posted by 大岩稔幸 at 10:10 pm

だるま夕日

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 高知県の西南端に位置する宿毛(すくも)市は、冬でも過ごしやすい温暖な気候で、海や山、川など豊かな自然に恵まれた町。そして、この町にある宿毛湾は、さまざまな形で海を愛する人たちから注目を集めている。

「魚のゆりかご」といわれるほどの磯釣りのメッカであり、湾に浮かぶ沖の島周辺は、海水が澄んでいて珊瑚礁や熱帯魚が数多く見られるとあって、国内でも有数のダイビングスポットとして人気も高い。

 また宿毛湾はたいへん入り組んだ形状をしていて、水深も深いため、たくさんの魚が集まってくる。夕暮れ時まで釣り糸を垂らしていると、ちょうど夕日が海に沈むところだった。

 しばしその情景を眺めていると、夕日が海に沈む直前で水面に溶けてしまうかのような幻想的な姿に変貌していく様子を見ることができた。夕日が完全に沈みきるまでの数分間、あまりの荘厳な光景に時間が過ぎていくのも忘れ、その場に立ち尽くしてしまった。

 その素晴らしい夕景は、宿毛湾の冬の風物詩『だるま夕日』という。11月中
旬から2月中旬の3カ月問で実際に目にすることができるのは、わずか20日ほど。綺麗なだるま形になるのはそのうちの10日程度と、まさに見るだけで「幸運」だといいたくなる夕景なのだ。

 大気と海水の温度差が大きく、冷え込みが激しい晴れの日に、海面から立ち上る水蒸気によって光が屈折して生じる自然現象で、風の強さも含めた気象条件がそろわないと実現しない、一種の蜃気楼のようなものである。

 こんなにも心を揺さぶられる夕景は初めてだった。今冬のシーズン中には
再び宿毛を訪れて、今度は多くのカメラマンに紛れ、真っ赤なだるま夕日を
カメラに収めたいと思うのだ。
                                   
宿毛市の観光に関するお問い合わせ先:宿毛市観光協会 
TEL:0880−63−0801
URL:http://www.sukumo-darumayuhi.jp Link


 宿毛湾の4つのポイントから観賞できるだるま夕日は、めったに見ることのできない「幸運の夕日」といわれている。だるま夕日が見られる咸陽島やサニーサイドパークは、“日本の夕陽百選”にも選ばれている。絶好の被写体として全国からカメラマンが訪れ、美しくだるま形に沈んでいく夕日をカメラに収めていく。写真は宿毛市桜公園臨時駐車場からの夕景。

― posted by 大岩稔幸 at 07:13 am

おしぼりうどん

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長野県の北部に位置する坂城(さかき)町は、葛尾(かつらお)山や五里ヶ峰、鏡台山などを背景に、中心部を千曲川が貫いて流れる静かな里である。

この地には「信州の伝統野菜」にも認定された珍しい野菜がある。「ねずみ大根」。収穫は11月から12月。下膨れの短い形状で、細長い尻尾が付いている様から、その名が付けられたという。すこぶる辛みの強い大根である。この絞り汁に茹でたうどんをつけて食す。400年ほど前からの郷土食は、初めて遭遇した者にいかなる感慨をもたらすか。

信州は山の国である。日本海に近ければ北海道あたりから運ばれてくる昆布でだし汁を取っただろう。太平洋に近ければ、黒潮に乗って北上する鰹を元に、鰹節でだし汁をこしらえもしただろう。

流通網の整備された現在なら訳もないことだが、江戸時代にあっては、信州・坂城は海の幸に頼るすべがなかった。そこで考えついたのが、ねずみ大根を搾った汁につけて食べる方法だった。

唐辛子系の辛さならまさしくホット、熱い辛みが舌の上、口の中を炎の原に変えていくが、ねずみ大根の絞り汁の辛さはタイプがまったく異なる。

ひんやりとした白い静寂の刹那に包まれたあと、首の後ろから頸椎をさかのぼって、頭のてっぺんから天井に向かって極めてクールな、氷の微笑をたたえつつ、冷たくもしびれるほどに辛いという目くるめく味わいを体験する。

しかし、一度味わってしまえば、天に通じる未知なる辛みはクセになる。最後の最後には隠れた甘みが感じられる。この味を地元では「あまもっくら」と表現するらしい。

味噌を入れれば一躍マイルドに変貌。これはこれで美味なのだが、やはり、最初は味噌なしで食べてみたい。

俳人・松尾芭蕉はこんな句を残している。
「身にしみて 大根辛し 秋の風」

先人たちが生み出した「おしぼりうどん」の奥深さ。
クールな辛さがクセになる。


坂城町ホームページ
http://www.town.sakaki.nagano.jp/sightseeing/W004H0000007.html Link
おしぼりうどん
http://nezumi-daikon.com/modules/daikon_recipe/index.php?content_id=1 Link








SKYWARD
JAL機内誌 2010.11

― posted by 大岩稔幸 at 12:43 pm

謹賀新年2011

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卯(う)の年が明けた。年年歳歳というけれど、またいつもの年の暮れがあったし、またいつものお正月が巡ってきた。

年越し、年明けに人は何かを思う。それぞれの家がそれぞれの流儀で行事を行い、きょうの日を迎える。人はなぜこのように、毎年同じことを繰り返すのか。明治の文豪・幸田露伴が、面白いことを書いている。

「一年に四季があってひと巡りして来たところで、樹木も年輪というものが出来るのである」。だから年ごとに重ねるはずの年輪がぼんやりすると、妙に締まらない。「竹に節が無く、網に結び目の緩いようなもの」になる。

そこでこの博覧強記の文豪は、「年の関」というものを仮定する。そしてその関へかかった時に、「一寸思い入れがあって関門を通った方が面白そうだ」(「新年言志という事について」)。一年の計は元旦にあり、というやつだ。

大きな計画、高い目標を掲げるのもよろしかろう。神社にお参りに行って、「無病息災、家内安全」と地道な願い事をすることだって、立派な新年の思い入れだ。政治も経済も社会も、めまぐるしく移り変わる時代。予想を超えたことも起きるだろう。

〈初夢や 金も拾はず 死にもせず〉。夏目漱石のとぼけた句だ。平々凡々何事もないが、命のあることに感謝する。新年早々景気のいい話にはならなかったが、この句の心境が案外、庶民の心を言い当てている気もする。






高知新聞 小社会
2011.01.01

― posted by 大岩稔幸 at 12:04 am

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