[ カテゴリー » 医 学 ]

ロコモティブシンドローム

locomo01

最近、テレビや新聞で「ロコモティブシンドローム」という言葉を頻繁に目にするようになりました。

高齢化社会が急速に進展し、要介護状態の方々が増加している現状をふまえ、運動器の障害のために要介護となる危険性の高い状態をロコモティブシンドロームと呼んで、その自己点検法や予防法を開発しようと、一昨年、東京大学整形外科教授の中村耕三先生により提言されたものです。

ロコモティブシンドロームの主な構成要因としては、骨粗鬆症、下肢の変形性関節症や関節炎、脊椎の変形や変性などによる神経障害があげられています。

わかりやすい医療が求められている今、運動器障害のハイリスク状態をあらわす新たな概念として、ロコモティブシンドローム、略して「ロコモ」が「メタボ」のように、社会に浸透していくことを期待したいと思います。

― posted by 大岩稔幸 at 11:54 pm

介護保険は死んだ

5542189009

 そもそも、医療と異なり、高齢者の大多数が関係してくる介護保険の中身が国民に広く知らされていないのはおかしな話です。

 先般は損保、生命保険会社の保険金不払いが問題になっておりましたが今回の介護保険の改訂はこれにも匹敵するものと思います。

 それは契約時にある程度示されたサービスがその後詳しい説明も無く、4月から低いサービスしか受けれなくなるのは、保険金がいざというときに契約当初に示された額より少ない額しか支払われないと同じだ思います。

 保険はお金で支払われる、介護保険は介護という形でサービスを提供しているだけです。保険金不払い問題と違いがあるとでもいうのでしょうか。

 しかしながら損保、生命保険会社の不払いを厳しく指弾、指導しているのは介護保険サービスを国民に周知することも無く切り下げた政府・厚労省なのです。

 もし介護保健が同じ保険料の支払いで、一段低いサービスしか提供されなくなるなら、契約者である国民にどの程度サービスが低くなるか示されるべきでしょう。

 定額給付金だけは過大にアピールされておりますが、一緒に「4月から介護保険のサービスが思い切り下げられます」と一行書いて欲しかった。

 今回の改訂で90歳以上で、よぼよぼで杖をついて、あるいは老人車で移動し、風が吹けば倒れそうで、いつある日朝死んでいてもおかしくない超高齢者でもなんとか自分の事が自分でできたら、要支援です。まさに悲惨であります。

 テレビでみた悲惨な外国の老後の姿が日本での現実になりつつあります。

 国民皆保険が死に、年金制度が死に、そしてついに平成21年4月には介護保険も死んでしまうでしょう。

― posted by 大岩稔幸 at 10:28 pm

健康情報の過多

img045

 今日、私たちが情報を得る一般的な手段といえば、ほとんどが紙媒体、電波媒体、インターネットであろう。そして、そういうものから情報を入手した人たちによるクチコミである。近年、この情報量がインターネットを中心にして格段に拡大したために、世の中は「情報社会」と呼ばれるようになった。

 しかし、その情報量たるや膨大なものであり、もはや、出所、内容、正否など玉石混淆、入り乱れて「氾濫」の域にあるといってよい。

 こうなると、事と次第によっては情報の真偽を判断するために、そのまた周辺の情報を得る必要に迫られることになって、さらにその量は膨らむことになる。

 その結果、私たちは得体の知れぬ情報に支配されるというような、つまりは、しっかりと自分の中で咀嚼、整理されずして筋道がつかめないままに行動させられてしまうことになる場合がある。いろいろな局面で思い当たる節がある人は多いだろ、

 とりわけ、社会的背景や医療を取り巻く問題が山積している今日、人びとの「健康」 に対する意識の高まりは並々ならぬものがあって、それに比例して、いわゆる「健康情報」 の量の多さは群を抜いて多い気がする。

 しかし、ほとんどの人が健康で長生きしたいという普遍的テーマを持って生きている以上、発信される情報も飛び交う情報も多くなるのは当たり前のことではある。新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどなど、いまや「健康情報」は花盛りである。

 そしてこの 「健康情報」はこれらを見聞きした人から人へ、組み合わさったり欠落したりしながら伝言ゲームさながらに伝播していく。おまけにそのスピードと変化が激しく、一体何が正しくて何が間違っているのかもじっくり
検証している間もない。

 それにもかかわらず、そこから得た「耳学問」を手がかりに健康食品、サプリメント、「☆$@健康法」、代替医療、健康器具などなど……、健康にいいとなれば人びとは手当たり次第に飛びついてみることをするから、いまや「耳学健康評論家」とでも呼べる人たちに支えられた「健康産業」は急成長を遂げている。

 たとえば、健康食品市場規模は健康志向食品と機能性志向食品を合わせると1兆8700億円(富士経済調べ)を超え、2兆円に迫ろうかという勢いである。

 商品の入手経路はドラッグストア、スーパー、ホームセンター、通信販売、訪問販売、インターネットなどさまざまである。なかにはこれらにおさまらない業種やアングラな方法で売られることもある。これを下支えしているのが過多ともいえる「健康情報」なのである。その情報によれば、人間の健康に関してはすべてバラ色に見えてくる。

 だが、それによって決して普遍化の道をたどらないような「自己流健康法」が生み出されていることも確かだ。悪くなければ目くじらを立てることでもなかろうが、それによって肝心な治療を遅らせたり、正しい健康への道を誤ったりするようなことにでもなったら問題だ。実際にそういうことがないわけではない。これこそまさに、

 『健康の深追いをして不健康』

 食器棚などにいろいろな高額の健康食品、サプリメントの入ったきれいな瓶や箱が並んでいるが、ほとんどが食べ残し、飲み残しの消費期限切れだったりするようだ。それに物置か寝室の隅にビニールシートをかぶった健康器具の類もある。たいていは本人も含めて家族の健康を心配して購入したものだ。ときどき何の前触れもなく消えていることもある。

 そしてこれらが夫婦喧嘩の原因になることも少なからずということで、どうも健康の深追いは家庭内の健康にもよろしくないことがあるようで……。








大塚薬報 2008年3月号 No.633

― posted by 大岩稔幸 at 08:53 pm

萎縮診療

gekkab06b


 防衛医療(ぼうえいいりょう、Defensive Medicine)とは、主に医療過誤の賠償責任や刑事責任追及等にさらされる危険を減ずるための、医療者側の対応として行う医療行為、あるいはリスクの高い患者の診療の忌避を意味する。「根拠に基づいた医療」をもじって「判例に基づいた医療」(Precedent Based Medicine, PBM / Judgment Based Medicine, JBM)と表現されることもある。

 医学的には妥当な医療行為であっても、訴訟リスクなどを恐れてあえて行わないといったことが起こる。「萎縮医療」などと別称される所以である。また、患者にとってプラスになる医療行為であっても、医療関係者自らのリスクを避けることを優先しあえて行わないといったことが起こる。「保身医療」などと別称される所以である。(wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%8C%BB%E7%99%82 Link

 医療には明確に線引きができない不確実な部分が多く存在します。どんな病気でも、教科書どおりの症状がでない、教科書どおりの経過をとらない、そして教科書どおりの治療をしても予期せぬ事態が起こりえます。

 そしてさらに、検査や手術は、どんなに簡単といわれているものでも、危険性がつきまといます。検査中や手術中に少しでも手がすべったり、集中力を欠いたりすれば、患者さんの人生に決定的な影響を及ぼすような合併症をひきおこしてしまう可能性があります。

 もちろん、医師はこのようなリスクを知っているので、自分の失敗が患者さんのデメリットとならないように、日々、自らの技術や知識を磨こうとしています。

 ところがその一方で、医師の技術や知識によっても、防ぎきれない合併症が存在します。ほとんどの場合、このような合併症が起こる可能性は極めて低いのですが、必ず一定の確率で起こります。

 現在、日本社会が訴訟社会へ変わりつつあります。

 もし、このような医師の努力によっても防ぎきれない重篤な合併症が不幸にして生じた場合、医師には民事訴訟、さらには刑事訴訟が待っているのではないでしょうか?

 医師にとってはそのキャリアの終焉を意味するかもしれません。

 福島大野病院事件で加藤先生が無罪になったことは喜ばしいことです。

 しかし、通常の医療行為を行っても逮捕される可能性があるという事実が日本の医師に与えた心的外傷はなかなか癒えるものではありません。

 今後、厚生労働省が主張しているような、医師の懲罰的制度としての傾向が強い医療事故調査委員会がそのまま設立されてしまうと、外科や産科で萎縮医療が蔓延するのは避けられないでしょう。

 萎縮医療が蔓延すれば、救急や高リスクの患者さんは自分を治療してくれる病院を探す事がもっともっと困難になるかも知れません。

― posted by 大岩稔幸 at 10:13 pm

ある産科医師のつぶやき

WATSON012


帝王切開による死亡は殺人事件ではありません。
母親や赤ちゃんの安全と健康を望まない医師などいるでしょうか。手を尽くしたけれど救命できなかっただけです。
妊婦が前置胎盤、そして癒着胎盤という病気を持っていたのは医師のせいではありません。

赤ちゃんやお母さんを不幸にして助けられなかった場合、我々医師だって平然となんてしていられません。
後でみんなで何度もシュミレートし直して、何度も話合います。本当に助けられなかったか。

でも、後から思い返しても、どんなに手を尽くしても助けられないこともあります。私達は決して開き直るわけじゃない。助けたかったという遺憾と助けられなかったという無力感から立ち直るには時間がかかりますし、常に目の前の症例に対してベストを尽くしたいという気持ちはみんな持っています。

ただ、所詮は神の領域には手が届かないのです。

この大野事件の家族は、もしこれが癌の手術で死亡したのだったらここまで医師を恨んだでしょうか。
きっとそうではないと思います。

癌のような病気であれば家族も覚悟して臨んだはずです。
帝王切開ではそこまでの覚悟は無かったのではないでしょうか。

先人達の努力により、日本でのお産は世界で一番安全なものになりました。
妊婦たちも安全であることが前提として認識し、ご飯が美味しい産院や、部屋のリネンが高級ブランドである産院などに人気が集まります。

でも、今でも毎年約50人の妊婦がお産で亡くなっています。
これはゼロには出来ません。

だから、不幸な結果になってしまっても、「ちゃんとした医療が受けられなかったから」ではなく「本来お産は危険なもので、医療には限界があるから」なのです。(もちろん、水準以下の医療がゼロとは言いません。私達も日々邁進する次第です。)

妊娠出産が当たり前という認識が広まり、何かあったら医療ミスじゃないかという考えが、医療現場を萎縮させ、産科医不足を招き、結局は国民みんなにとって困った事態になっています。

1人でも多くの赤ちゃんやお母さんを助けたい、私達の目標は変わりません。だから、これ以上医療が崩壊して、産科や新生児科を志したものたちが辞めたくなったり辞めざるを得なくなったりするような事態になって欲しくないのです。

妊娠出産は本来危険を伴うものです。命に関わるものからそうでないものまで、沢山のリスクや煩わしいことが有り得るのです。
だからみなさんも覚悟して妊娠出産に望んでほしい。そして、何かあったときは自分の体に起こっていることを理解し、責任をもって自己決定する能力を持って欲しい。
それが一人ひとりに出来ることだと思います。


http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/03/311_4a15.html Link

http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2008/08/post_b044.html Link

― posted by 大岩稔幸 at 09:33 pm

<< 2018.9 >>
SMTWTFS
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
 

T: Y: ALL: Online:
ThemeSwitch
Created in 0.0136 sec.