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モンスター

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 近年、世の中には妖怪(モンスター)が跋扈(ばっこ)している。なかでも、学校と病院での現象が著しいという。いわくモンスターペアレント(親)、いわくモンスターペーシェント(患者)、どちらもMPということになる。

 モンスターペーシェントの場合、治療費の不払いは序の口、入院患者が医師や看護師を殴ったり、甚だしきに至っては、刃物を振り回したりする。ある統計によると、患者に接する際に、何らかの意味で不安を抱いている医療者は60%を超える。自分の生命を預ける医療者に、どうして、そのような敵意や害意を抱き、表すことができるのだろうか。

 これも統計から推定されることだが、そうした行為のなかには、もともとゆすりなどを目的にした暴力団絡みのもの、いわばプロによるものも、確かにある。しかし、言うまでもないが、それはむしろ少数と言える。

 興味深いことに、学校と病院には、一つの共通点がある。学校、つまり教育の現場も、病院、つまり医療の現場も、どちらも、本来ある種の権威の勾配(こうばい)があって初めて成り立つ空間である。教える立場と学ぶ立場、医療を与える立場と受ける立場、そこにはたとえ仮構のものではあっても、専門性を背景にした権威に基づく上下関係があって当然なのである。

 しかし、現代社会にあっては、そうした勾配は、非民主的という名の下に、極力否定される方向で進んできた。

 ▽専門性の軽視

 「友達のような」教師がもてはやされ、医師のパターナリズム(保護者的な姿勢)も常に糾弾されてきた。そのこと自体のなかに含まれる重要なポイントを、否定するつもりはない。しかし、教師や医師の「専門性としての権威」をないがしろにした結果が、モンスターの登場である、という点は、見逃すことができない。

 医療の場合には、このような外側からの要素に加えて、内側にも、専門性の軽視につながる現象が起こっている。かつては、永年の経験を積んだ「名医」でなければ、つかなかったような診断が、検査技術の進歩によって、医師とは名ばかりの国家試験を終えたての若い医者でも、より正確に下せるようになった。

 一方、EBM(科学的証拠に基づいた治療)という考え方の浸透で、治療の規格化、標準化がある程度可能になった。つまり、現在では、病気にもよるが、しかるべき診断が下されれば、しかるべき治療法が、ほぼ自動的に導き出されるような形が整い始めたのである。医師の専門的な経験や知識がものを言う余地が減った、とも言える。

 ▽悪しき権威主義

 もちろん、実際には、そうしたEBMは、確率と統計に基づいて組み立てられる一方で、病気というのは極めて「個人的」、「個別的」な性格を免れ難い。従って、すべてがEBMで片付くはずはない。医療者の幅広い経験と深い知識の専門性が、決定的に必要になる場面は、決して消えてはいないのである。

 だからEBMが専門性の軽視と論理的に直結するはずはないが、それでも、医療の進歩のなかに、専門性の軽視を誘発する要素が含まれていることは、注目に値する。さらに、安易に規格通りの治療で事足れり、とする意識が医師の側に、生まれない保証もない。

 内外からのこうした圧力のなかで、「神の手」などと言われる、少数の外科の名医はともかく、医師や医療者の専門性に対する尊重と敬意が、一般社会のなかで、希薄化しつつあることは、確かなようだ。

 個人的には「ものを言う患者」の増大を、私は否定したくない。医療の世界は、これまで余りにも長い間、医師の権威のカーテンの陰に隠されてきた歴史があるからである。そして、そうした悪(あ)しき権威主義は、少なくとも医療界の一部には、厳然と残っているからである。

 しかし、患者ないしはその周辺の人々が、自分たちの生命を救い、あるいはより良く生きられるために、献身的に努力と研鑽(けんさん)を重ねている医療者に対する、敬意と尊敬の念を失ったら、それは、結局、自分たちの首を絞めていることになる、という意識だけは、患者の資格として、忘れずにおきたいと思う。(東大名誉教授)

  ×  ×  ×

※村上陽一郎氏の略歴

 36年東京生まれ。東大大学院博士課程修了。専門は科学史・科学哲学、科学技術社会学。86年から東大教授。97年に同大名誉教授。95年から08年3月まで国際基督教大教授。同4月からは客員教授。音楽の造詣も深く趣味のチェロはプロ級。著書に「安全学」「安全と安心の科学」など。




http://www.m3.com/news/news.jsp?articleLang=ja&articleId=78946 Link



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モンスターペイシェント(Monster Patient、「モンスター患者」、「怪物患者」、「DQN患者」などとも)とは、医療従事者や医療機関に対して自己中心的で理不尽な要求果ては暴言・暴力を繰り返す患者や、その保護者等を意味する和製英語である。教育現場で教師に理不尽な要求をつきつける親を“怪物”に喩えて「モンスターペアレント」と呼ぶのと同様、医療現場でモラルに欠けた行動をとる患者をこのように呼ぶようになっている。

― posted by 大岩稔幸 at 11:57 pm

ある医師の軌跡―関寛斉

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 関寛斎は、1830年(文政13年)、今の千葉県東金市東中の農家吉井佐兵衛の長男として生まれました。儒家関俊輔の養子となり、その薫陶を受け、長じて佐倉順天堂に入り佐藤泰然の門下で蘭医学を学びます。26歳の時銚子で開業しますが、豪商濱口梧陵の支援で長崎に遊学します。

 この濱口梧陵という人物は、ヤマサ醤油の前身濱口儀兵衛商店の7代目で、1854年(安政元年)に安政南海地震の津波が広村(現和歌山県広川町)に襲来した際、大量の藁の山に火をつけて安全な高台への避難路を示し、村人を救ったことで有名です。これをもとに作られた「稲むらの火」という物語は今も語り継がれています。

 寛斉は、長崎でオランダ人医師ポンペに最新の医学を学びました。その後、徳島藩のご典医となり、戊辰戦争では官軍の奥羽出張病院頭取として、兵站の楽でない政府軍のもと野戦病院で傷病兵の治療だけでなく、財政的にも厳しい病院経営に腐心しました。

 戦地から徳島に戻った寛斎は、藩立医学校の創設に情熱を燃やし、付属病院長、教授に就任します。医学校開院式の日、待遇に不満を持つ医員たちが来賓の藩参事を胴上げして床にほうり出してしまい、寛斎はその責任を問われ、謹慎処分を受けます。一時は復職したものの、結局は退官し、1873年(明治6年)、徳島に診療所を構え以後約30年間、町医者に徹します。

 寛斎は、貧しい人からは治療費を受け取らない赤ひげ診療を行い、住民たちからは「関大明神」とあがめられ、関医院にいたる道は徳島人から「関の小路」と称されていたといいます。ここまでも結構な波瀾万丈の人生ですが、すごいのはここからです。

 寛斉は夫妻で金婚の祝賀を受けた後、一念発起し産業発展のために必要な地と注目された北海道の開拓を志します。その時既に年齢70歳で、四男の又一は札幌農学校に在学していました。

 石狩樽川農場を開拓し、1902年(明治35年)72歳でさらに奥地の原野だった北海道陸別町の開拓事業に全財産を投入し、広大な関牧場を拓きます。開拓の方針を二宮尊親が経営する二宮農場の自作農育成に求めて「積善社」を結成し、徳富蘆花との交遊を深め、トルストイの思想に共鳴し、理想的農村建設を目指しました。

 しかし、トルストイよりも過激であったのか、それとも土地を開放し、自作農創設を志すが果たせなかったことに絶望したのか、子の餘作、又一に志を託し、 82歳にして服毒により自らの命を絶ちました。陸別町には関寛斉資料館が建てられ、波乱にとんだ生涯が映像やパネル、実物資料をもとに展示されています。

 このように見てくると、関寛斉の人生を貫いたのは、非常に強いヒューマニズムと社会に対する義侠心のように思われます。それらは、農家に生まれた出自や、儒家の養父に育てられた来歴によるのか、それともしっかりとした指導者のもと順天堂で学び、「稲むらの火」の主人公の援助を得て長崎で蘭学を学んだ経歴によるのでしょうか。

 あるいは戊辰戦争で敵味方なく傷病兵を治療しながら医療経営に腐心し、医学校を設立した仕事魂によって生まれたのでしょうか。はたまたもっと深いところで人間性に根ざしていて、トルストイと同じく人生や社会と全身を持って対峙する資質によるものだったのでしょうか。

 凡人の私には分析のできないところですが、五里霧中のこの時代に一度われらが先達にも、このようなきりりとした生き様があったことを知るのも悪くはないとご紹介する次第です。



http://www.webshinokawa.com/sekikansai003.htm Link

關 寛斎 (1830〜1912)

― posted by 大岩稔幸 at 10:32 pm

ボディーピアス

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イギリスでは特に若い成人女性で耳たぶ以外の身体部位へのピアス装着の頻度が高く、問題が多発し健康サービスの支援を要する事例も多いことが、健康保護局感染症センターのAngie Bone氏らが実施した横断的世帯調査で明らかとなった。近年、イギリスでは美容的なボディピアシングが急増しているが、その実態は不明だという。医学、歯学論文では合併症の報告が相次いでおり、国会でも議論されているが、問題の大きさを把握するための検討はほとんどなかった。BMJ誌2008年6月21 日号(オンライン版2008年6月12日)の報告。

2005年の全国的な世帯調査で1万503人を抽出

本研究は、 2005年にイギリスで実施された全国的な横断的世帯調査である。16歳以上の1万503人が、地理的地域の無作為なサンプリングおよび所定の割り当てへの個人のサンプリングという2段階の行程を経て抽出された。16歳以上の国内人口プロフィールを反映するように、結果の重み付けが行われた。

主要評価項目は、ボディピアシングの全件数および年齢層別、性別、解剖学的部位別の推定値とし、16〜24歳の年齢層では合併症に関連したピアシングや医療支援の求めの割合について推算した。

ボディピアシング率10%、16〜24歳の約1/3に合併症、100人に1人が入院

耳たぶ以外のボディピアシング率は10%(1,049/1万302人、95%信頼区間:9.4〜10.6%)であった。男性よりも女性に多く、若い年齢層で多かった。16〜24歳の女性の約半数(46.2%)がピアシングをしたことがあると答えた(305/659人、95%信頼区間:42.0〜 50.5%)。

ピアシングの部位は多い順に、臍、鼻、耳たぶ以外の耳部、舌、乳首、眉などであった。

16〜24歳のピアシングをしている754人のうち、233人(31.0%)が合併症を報告した(95%信頼区間:26.8〜35.5%)。そのうち医療支援を必要としたのは 115人(15.%、95%信頼区間:11.8〜19.5%)であり、入院を要したのは7人(0.9%、95%信頼区間:0.3〜3.2%)であった。

Bone 氏は、「特に若い成人女性でボディピアシングの頻度が高く、問題が多発し健康サービスの支援を要する事例も多い」と結論し、「入院を要する重篤な合併症は多くはないようだが、合併症が起こる可能性は長期にわたるため健康サービスに深刻な負担を課している。合併症を増やすリスク因子を同定してピアス施術者、その客、医療者に注意を喚起し、ボディピアシングの安全性を改善する情報を提供するための研究が必要である」と指摘している。


http://www.carenet.com/news/det.php?nws_c=4726 Link

― posted by 大岩稔幸 at 09:43 pm

虫歯の日

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聖アポロニア。フランシスコ・デ・スルバラン画


 聖アポロニア (Apollonia, 生年不詳 - 249年)は、ローマ帝国時代のアレクサンドリアで殉教したキリスト教徒の女性。ローマ・カトリックとコプト正教会で聖人とされている。祝日は2月9日。言い伝えによると、彼女は歯を全て乱暴に引き抜かれたか、粉々にされるという拷問を受けたという。このために、アポロニアは歯科学や歯痛を患う者、歯に関する問題全ての守護聖人として崇敬されてきた。絵画においては、歯を引き抜くためのはさみ(時には歯)を手にした姿で描かれている。

 キリスト教史家らは、フィリップス・アラブス帝(在位:244年-249年)統治最後の年に、別の記録のない祭典(ローマ建国1000年を記念するもの。紀元前753年が建国の年とされているので、紀元248年頃となる)が開催されている最中、詩人が災難が降りかかると預言し、アレクサンドリアの群衆の怒りが頂点に達した。彼らの怒りの矛先は、キリスト教徒への血なまぐさい暴行となって向けられた。貴族たちは暴動を防ぐのに何の手だても打たなかった。

 アレクサンドリア司教ディオニシウス(在任:247年-265年)は、アンティオキア司教ファビウスに宛てた手紙の中で信徒の被害者と連携し、エウセビウスの時代から歯を抜くことが長く行われてきたと触れている。続きには、キリスト教徒の男女メトラスとクインタがどのように襲撃され群衆に殺されたか、どのようにキリスト教徒の家々が略奪に遭ったかつづられている。

 当時アポロニアは、教会内の協力者を務め非常に尊敬されていた。暴徒らは彼女を襲い、繰り返し殴って彼女の歯全てを砕いてしまった。彼らは市の城門外にまき束の山をこしらえ、アポロニアが彼らの異教の神への崇拝の言葉を唱えなかったら、生きながらにして火にくべてやると脅した。彼女の願いが聞き届けられ、わずかな間に自由が与えられた。アポロニアは素早く火の中へ飛び込み、焼死した。

 この悲惨な逸話は、ヤコブス・デ・ウォラギネの記した『黄金伝説』(1260年頃)によって広まり教訓とされた。

 アポロニアと、初期キリスト教犠牲者たちは、死を望まなかったが自身の純潔を保つならば死ぬよう脅された。彼らは棄教か死かの選択に直面し、自発的に死を受け入れ、一部の人が考えたように、危険にも自殺を試みたのである(カトリックで自殺は認められない)。アウグスティヌスはこの疑問について著作『神の国』の中でふれている。

 ディオニシウスの記した物語は、聖アポロニアのこの行為にわずかばかりの非難を暗示していない。彼の目には、彼女は他者と同様に十分な資格のある殉教者であった。そういう資格で、彼女はアレクサンドリアの教会で崇拝されたのである。やがて、彼女の祝日は西方教会で一般に広まった。後に伝説は誤って、ユリアヌス帝時代のローマで同じく歯を抜かれる拷問を受けたキリスト教徒の乙女として複写され広まった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

― posted by 大岩稔幸 at 09:32 pm

高知保険医協会 <理事会声明> 

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後期高齢者医療制度は中止・撤回を
後期高齢者診療料の届出、算定は慎重に

2008年4月22日
高知保険医協会理事会
 4月から始まった後期高齢者医療制度は、厳しい時代を生き抜き、今日の社会を築いたお年寄り一人ひとりから高い保険料を原則年金から天引きする過酷なものです。保険料を滞納した人からは保険証の返還を求め、資格証明書を発行することになっています。医療内容では診療報酬に包括制を導入するなど差別的なもので許すことができません。
高知保険医協会は後期高齢者医療制度の中止・撤回を求めて運動をすすめてきました。国会では2月28日に野党4党が共同で後期高齢者医療制度を廃止する法案を衆議院へ提出しましたが、「ねじれ状況」の中で審議は出来ず、政府・厚生労働省は制度の不手際への対応に追われている状態です。
医療費抑制を目的とする「後期高齢者医療制度」の具体化として、今回の診療報酬改定で「後期高齢者診療料」が導入されました。これは「1人の患者に1つの主病」しか認めず、慢性疾患療養管理を1つの医療機関に限定するというものであり、フリーアクセスや必要な医療が制限されるものです。医療機関に患者の囲い込みを促し、医師を分断して地域医療を崩壊させる危険性をもっています。厚労省は「医療内容が差別されることはない」と、その否定に躍起になっていますが、そうであれば、「高齢者の心身の特性」をもとにかかりつけ医として果たすべき機能を評価し、個別に出来高で評価すべきであり、わざわざ後期高齢者独自の診療報酬を設ける必要はないと考えます。
この算定について、全国各地の医師会や保険医協会が届出や算定を巡って「見合わせる」等の声明を出しています。
以上を踏まえ、会員の先生方には高齢者を差別する「後期高齢者医療制度」の中止・撤回を求める運動へのご協力と、後期高齢者診療料の届出や算定については慎重に対応することを呼びかけます。

― posted by 大岩稔幸 at 01:31 pm

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