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チャングムの処方箋

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日本で大人気の韓国ドラマ『大長今』(邦題『宮廷女官チャングムの誓い』)は、中国本土をはじめ、香港・台湾・ マレーシアなどでも放映され、韓流はアジア全域を巻き込んだ社会現象にまで発展している。

チャングムとは、朝鮮正史にも登場する実在の人物で16世紀の朝鮮、第11代 皇帝・中宗の主治医として活躍した女傑である。

東洋の伝統医学史をひもといても、女医として名を残しているのは、中国の洪夫人、そして、このチャングムくらいである。

中国語で流行していることを「紅(hong)」というが、歴代医家の中でも紅一点のチャングムをとりあげ、その根底に流れる伝統医学のこころを味わっていきたい。

水をめぐるエピソード
ドラマの中で、宮廷女官・医女時代の全編を通じて繰り返し登場するのが、今回のテーマである水だ。

ハン尚宮が、最高尚宮の座をめぐってチェ尚宮と競い合った際、八卦湯(スッポンと冬虫夏草のスープ)をつくるため、チャングムと連生に地漿水を用意させるシーンがある。

『本草綱目』では、「地漿水には、一切の魚・肉・野菜・果物・キノコ類の毒を中和させる作用がある」と記され、料理の際に これを用いると中毒を防ぐことができる。また、この地漿水は医女の張徳が患者の病巣部を洗う際にも用いられている。

ほかにも、塩気のある水しか口にできない済州島の民のために、奉天水(雨水を濾過したもの)を供給するシステムをつくろうとするチャンドクに対して、奉天水よりも惜雪水(12月の冬至頃に採取した雪が溶けて水になったもの)のほうがよいとチャングムが提案する場面もある。

塩分を多く含む水を飲み続けると、瘡や腫瘤が生じやすくなる。一方、惜雪水は、温疫予防の効能をもつほか、皮膚病変にも効果があるとされている。このように、水にまつわるエピソードが幾度となく挿間し、料理でも医学でも、水を重要視していることがうかがえる。

また、ハン尚宮が、チャングムに何度も水を持って来させる場面がある。チャングムは、水をあたためたり、器を変えたり、柳の葉を浮かべたりとさまざまな工夫をするが、何度持って行ってもやり直しを命じられてしまう。

結局、黄砂騒動の際、チャングムが亡くなった母のいいつけを守り、湯冷ましを使って食器や食材を洗っていたため、チャングムの部署だけ料理が腐らなかったのだということをハン尚宮が知り、いたく感心するという展開を迎える。

それがきっかけで、チャングムにもようやくハン尚宮の意図が読み取れるのである。なぜチャングムの母は、わざわざ毎日湯を沸かし、冷まして使っていたのか。

そして、ハン尚宮が水を持って来るよういいつけた真意は何であったのか。チャングムは思案の末、母が生前、たとえ水を出すにしても、まず相手に体調や嗜好などを尋ねていたことを思い出すのである。

水といえども、器に盛り付ければ立派な料理である。料理を出すときは、体質や好みを把握したうえで、相手の要望に応えなけ ればならない。料理とはすなわち、相手のために心を尽くすことだからだ。

けっして、作り手のひとりよがりや、自分の主義・主張の押し付けではなく、最初に相手ありきなのだということ。それは料理のみならず、漢方の基本でもあることをも示唆しているのではないかと思う。

『東医宝鑑』湯液篇にみられる水

韓国伝統医学の大著、許浚の『東医宝鑑』湯液篇には,水・土・穀類・草・禽類など16部に分けて薬物の特徴が記されている。

彼が水の効能を重視していたことは、「天は水を生む」とし、湯液篇の最初に水部を配していることからも明らかだ。

許浚はさらに冒頭で、「水は日常的に用いられるが、人はこれを軽視しがちである。人は天から生まれ、水穀によって養われている。人の形体の厚薄、年寿の長短も水土の違いからくるものだ」と述べ、雹や夏氷 を含む33種類に水を分類し、それぞれの性質・効能をあげている。

ドラマの中に登場する地漿水・奉天水・惜雪水もここに収載されている。また,『傷寒論』でも甘燗水・漿水・潦水・麻沸湯などは、特定の方剤を煎じる際の溶剤として指定されており、湯液には欠くことのできない要素となっている。

余談だかが、ドラマに出てくる方剤や治療法の出典は、この『東医宝鑑』である。しかし実際、許浚が『東医宝鑑』を編纂したのは、チャングムが活躍した時代よりも数十年後のことなので、チャングムが『東医宝鑑』を目にすることは、おそらくなかったはずである。

水と古代の湯液

ところで現代でも漢方薬のことを湯液というが、『黄帝内経・素問』湯液醪醴(ろうれい)篇から発展したものと考えられている。湯液も醪醴も五穀を原料として作られたもので、五穀を煮詰めたときにできる上澄みが湯液、さらにこれを煮詰めた上で発酵させたものが醪醴である。

さしずめ湯液は重湯で、醪醴は甘酒のようなものと考えたらよいであろう。

五穀とは、粳米・小豆・麦・大豆・黄黍(きびのこと)であるが、この中でも粳米は天の陽気と水の陰気を吸収し、気味は完全で、寒熱の偏りがなく、栄養も申し分ないので、湯液や醪醴の材料として最も適しているとされている。

湯液醪醴篇では、さらに以下のように続く。古代では、人々は「養生之道」を重視し、心身を調整することに長けていたので、ほとんど病気をすることもなく、湯液や醪醴を作り置くだけで服用することはなかった。

時代が下り、養生を心がける人が少なくなると、身体が虚弱になり、邪気の侵入を許して病気に罹りやすくなったが、湯液や醪醴を飲めばすぐに回復した。

ところが、現代では(といっても『黄帝内経』の書かれた時点での「現代」だが)養生の考え方が重視されなくなったので、疾病も複雑になり、漢方による「内治療」や石乏石(いしばり)、鍼灸による「外治療」も施さないと病気は治らなくなってしまったのである。

私たちは、ともすると生薬や方剤にだけ目を向けがちである。しかし、漢方の原型が、水をコアとしたシンプルなものであり、のちに人々の体力や体質、気候や社会構造の変化に呼応するように方剤として発展したものが現代の漢方薬と考えると、水の重要性をあらためて実感できるのではないだろうか。

医女 チャングムの処方箋
韓国ドラマ
本橋京子
伝統医学 Vol.9 No.1
2006.3

― posted by 大岩稔幸 at 11:50 pm commentComment [1]

患者さま

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ここ数年「患者さま」と呼んでいる医療機関が増えている。最近の学会発表を聞いていると若い先生は、対象者の提示に「患者さま」と言うことが多い。医療はサービス業であるという考え方が普及していること、マスコミ報道のあり方が医療者側に過剰な防衛姿勢をとらせていることが背景にあると思う。

しかし、我々が行った患者満足度調査の結果によれば、多くの患者さんたちは「患者さま」と呼ばれたいとは感じていない。ともすれば「巧言令色鮮仁(こうげんれいしょくすくなしじん) ※」1)になりかねない過剰な接客業用語は、むしろ患者さんを遠ざけたりすることになりかねない。

私が敬愛する作家でもある徳永先生は、ある雑誌の対談の中で「患者さまという呼び方は、患者の本当の悩みと向かい合う気持ちがなくなったことをごまかす形骸化したものではないか」2)と述べていた。先の患者満足度調査結果の中で、患者さんたちは「’患者さま’と呼ぶ前に患者に対する応対や態度を変えないといけない」と回答していた。

我々の分析によれば、患者さんたちが本当に求めているのは「よく訴えを聴いてくれた」「わかりやす説明」を通じて、共感(患者さんの気持への反応、ねぎらい、がんばったことへの称賛など)の信頼関係=ラポールであった。

まずは、「患者さま」と呼ぶことをやめることが、患者満足度への道であると考えている。近い将来、過剰な敬語や「患者さま」と呼んでいる医療機関ほど患者視点よりも利益を優先していることや、患者満足度が低いことを数量的に明らかにしたいと思う。


※巧言令色鮮仁・・・巧みな言い方や言葉や華やかな言葉には仁(心・思いやり)が少ないという意味。孔子の言葉。

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参考:
1)R AD-AR NEWS,No76.2006年10月 P12-13
2)論座,No23. 2004年10月 P8-21

http://blog.carenet.com/cs/entry/2006/11/001657.php?SID=5085489579226983 Link

― posted by 大岩稔幸 at 11:56 pm

病気の販売

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薬はよりどり、病は金から
レイ・モイニハン(Ray Moynihan)
医療ジャーナリスト
(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル、ランセット、
ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン各誌に寄稿)
アラン・キャッセルズ(Alan Cassels)
ヴィクトリア大学医薬品政策研究者、カナダ
訳・瀬尾じゅん
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原文

 30年ほど前、世界有数の製薬会社の経営者が語るに落ちる発言をした。メルク社の意気さかんなCEOで、引退間近だったヘンリー・ガズデンがフォーチュン誌で、自社の潜在市場が病人のみに限定されていることが残念だと、そんなふうに語っていた。彼としては、メルク社をチューインガムのリグレイ社のようにしたかったのだ。ガズデンは、かなり以前から健康な人向けの薬を作ることを夢見ていたとはっきり言った。なぜなら、そのときこそ、メルク社は「すべての人に自社製品を売る」ことができるようになるからだ。30年後、今は亡きヘンリー・ガズデンの夢が実現される。

 トップクラスの製薬会社のマーケティング戦略は、今や健康な人をがんがん狙い撃ちにする。日々の生活の浮き沈みは精神障害となり、よくある不調の訴えは恐ろしげな疾患とされ、普通の人々がますます病人へと変えられていく。売上5000億ドル規模の製薬産業は、販促キャンペーンを通して我々の心の奥底の恐怖を利用する。死、肉体の衰え、そして病気である。製薬産業は、人間らしくあるとはどういうことかの定義を文字どおり変えようとしているのだ。人の生命を救うことや、病状を和らげることで正当な対価を得てきた巨大製薬会社は、薬を必要としている人たちに売るだけではもはや満足しなくなっている。理由は単純明快きわまりない。ウォールストリートでは常識となっているように、健康な人に向かって「あなたは病気です」と言えば、いくらでも稼ぐことができるからである。

 先進国に住む人々の大半が自分たちの祖先とくらべて、より長く、より健康に、そしてより元気に生きていくことができるこの時代、圧倒的な広告キャンペーンあるいは意識向上キャンペーンによって、体調を心配する健康な人たちはあっという間に不安いっぱいの病人たちに変えられてしまう。ささいな問題が重大な疾患だということになり、内気は「社会不安障害」に、月経前のいらいらは「月経前不快気分障害」と呼ばれる心の病気にされてしまう。症状が出るかもしれない「リスク」を保有していることも、それ自体で立派な病気ということになってしまうのだ。

 このような販売方法の発信地は、多国籍製薬会社がひしめくアメリカである。人口は世界の5%に満たないのに、すでに処方薬市場の50%近くを占めている。健康関連の出費は世界中のどこよりも急激に増加していて、6年間でほぼ100%の伸びを見せている。それは単に医薬品がどんどん高額化しているからだけではなく、医師が処方する薬がますます増えているからでもある。

 マンハッタンの中心部に構えたオフィスを拠点とするヴィンス・パリーは、世界をまたにかけたマーケティング戦略の最先端をひた走る。広告のエキスパートで、医薬品を売るための最高に洗練された方法を手がけ、製薬会社と協力しながら新しい病気を作り出している。パリー氏は最近、「心身の状態を類別する」というタイトルの驚くべき記事で、医学的疾患の「創出を促進する」ために製薬会社が使う手管を明らかにした(1)。ときには、一般的に知られていない心身状態に改めて人々の耳目を引きつける。ときには、以前から知られていた病気を新しい名前のもとに定義しなおす。あるいは、何もないところに新種の体調不全を作り上げる。パリー氏が個人的に気に入っているのは、勃起不全、成人の注意欠陥障害、そして先に述べた月経前不快気分障害である。この最後のものは大変な論争の的になっており、症候として認めない研究者もいる。

 パリー氏は稀有の率直さをもって、製薬会社による類別と定義のやり方を解説する。その対象は、プロザックやバイアグラのように成功を収めた製品だけではない。こういう医薬品が売れるような市場を創出する前提となる人々の体調もまた、類別と定義の対象にされているのだ。

とんでも業界レポート

 製薬業界のマーケティング責任者の指揮下で、医療関係者とパリー氏のような第一人者が結託して、「病気と健康状態についての新たな思考を生み出す」ために知恵を絞っている。彼いわく、目標は世界中の顧客がこうしたことについて新しい捉え方をするようになることだ。そこで常に目指されるのは、売上を最大限に伸ばすような方法で、健康状態と医薬品の関連を確立することである。

 多国籍製薬会社が新しい病気を作り出すのに加担しているなどという考えは、多くの人にとって奇妙なものだろうが、業界内では常識である。製薬会社の経営者向けに出された最近の『ビジネス・インサイツ』のレポートは、「新たな病気の市場の創出」能力が数十億ドル規模の売上につながると述べている。最も有効な戦略の一つは、このレポートによれば、自分の症状についてあまり深刻に考えていない人々の認識を変えることだ。「これまではせいぜい不快にすぎないとして我慢されていた問題」が、「医療の対象に値する」ものだと「納得」しなくてはいけない。このレポートは、新種の健康障害に結びついた市場の発展を称揚し、製薬業界の未来の業績はバラ色だと持ち上げる。「今後の数年間は、企業が出資した疾病の創出が急拡大する時代となるだろう」

 不調というのはピンキリであるから、健康な人と病人との間にはっきりと線を引くことは難しい。「尋常」と「異常」の境目は、多くの場合、伸縮自在である。国によって極端に違うし、時代によっても変わる。しかし、病状の定義の範囲を広げれば広げるほど、思い当たりがあるという潜在的な病人の数が増え、製薬市場がますます広がっていくことははっきりしている。

 治療の手引きを書く医療関係者が、その書き方に応じて潤うことになる製薬業界から、報酬をもらっている場合もある。これらの手引きによれば、年配のアメリカ人の90%が「高血圧」と呼ばれる障害に苦しんでいるし、アメリカ人女性の半数近くはFSD(女性性機能障害)を患っているという。また、4000万人以上のアメリカ人は、コレステロール値が非常に高く、対処を必要とする。最新の健康問題は、大きな記事にできるネタを探し回っているメディアによって、多くの人々に関わる重大な、しかし医薬品のおかげで治療可能なものとして、定期的に報道される。医薬品の激しい売り込みと歩調をそろえるべく、そうした健康問題の理解と治療にいたる道はほかにもあることや、推定患者数がもっと低いと考えられることは、ほとんどの場合、あまり大きく取り上げられずに終わる。

 医療関係者に高額の報酬が支払われているからといって、必ずしも金で影響力を買っていることにはならない。しかし、医師と製薬業界が緊密すぎる関係を作り上げていると見る者も多い。

 病気の定義が拡大されているのとは対照的に、そうした「病気」の広がりの原因は、極力狭く捉えられている。この業界のマーケティングの世界には、循環器系の病気のように重要な健康障害は、とにもかくにもコレステロール値、あるいは血圧だとするアプローチがある。年配の人に見られる股関節部の骨折の予防のために、健康な中年女性は骨密度を気にするべきであり、気分が落ち込むのは、脳内の化学物質セロトニンのバランスが崩れたせいなのだ。
あれも恐いし、これも恐い。

 物事のある部分にだけ注意を向けすぎると、一番重要な問題は何なのかが見失われてしまう。そのせいで、個人や社会が不利益を被ることになる場合もある。たとえば、第一の目的がもし健康の向上にあるのだとすれば、健康な人向けの高価なコレステロール降下剤、あるいは禁煙キャンペーンに投じられている莫大な投資のせめて一部を、運動を奨励したり、食事のバランスを向上させるために使ったほうが効率的ではないだろうか。

 病気の「販売」には何とおりものマーケティング・テクニックがあるが、今も昔も最も広く用いられているのは、恐怖を利用したマーケティングである。心臓発作の恐怖を利用して、更年期の女性に代替ホルモンを売り込み、ちょっと気分が落ち込んだだけの若者の親には、自殺への恐怖を利用して、それが大変な治療を要する状態だという考えを売りつける。コレステロール値に応じてすぐに降下剤の処方が出されるようにするために、早すぎる死への恐怖を利用する。しかし皮肉なことに、派手に宣伝される医薬品が、予防するはずだった害をもたらすこともある。

 ホルモン補充療法は女性の心臓発作の危険を増大させる。抗鬱剤を使う若者は自殺願望が強くなるように見受けられる。非常によく売れたコレステロール降下剤のなかには、「患者」の死亡を引き起こしたために市場から回収されたものが少なくとも一つある。最も深刻なケースの一つは、よくある腸の病気のために飲んでいた薬が極度の便秘を引き起こし、そのために複数の人が死亡したというものだ。しかし、このケースでも他と同様、政府の規制関係者は、公衆衛生よりも製薬会社の利益を守るほうに固執しているようにみえる。

 1990年代終盤、アメリカで広告の規制が緩和されると、製薬会社のマーケティングはかつてないほどの猛攻撃を開始した。一般向けに、一日に10本は下らないテレビCMが流れるようになった。ニュージーランドのテレビ視聴者にも同じ運命が待ち受けている。その他の国々でも、製薬ロビーが同じような規制緩和を求めている。

 今から30年以上も前に、イヴァン・イリッチという名の異色の思想家が警鐘を鳴らした。医療体制の拡大は、人が病気や死という現実に向き合う能力を侵し、ごく普通の人々をやたらに病人に変えてしまうことにより、生そのものを「医療化」しつつあるというのである。彼が批判したのは、「病気でない人々、どうみても回復の可能性のない人々、医者の治療が患者の伯父、伯母の行う治療ほどにも有効でない患者たち、こうした人々に対しても権威を要求する」医療制度である(2)。

 もう少し最近では、医療ライターのリン・ペイヤーが、「病気の売り歩き」のプロセスについて書いている。つまり、患者の数を増やし、商品化する医薬品を増やすために、医師と製薬会社が疾患の定義をむげに拡大しているやり方のことである(3)。マーケティングのわめき声が大きくなり、多国籍企業が医療制度に対する支配を固めるにつれて、これらの著作の内容はますます的確なものとなっている。


*近著 Selling Sickness. How Drug Companies Are Turning Us All Into Patients, Allen & Unwin, Crows Nest (Australia), 2005 からの抜粋。

(1) Vince Parry, << The art of branding a condition >>, Medical Marketing & Media, London, May 2003.
(2) イヴァン・イリッチ『脱病院化社会』(金子嗣郎訳、晶文社、1979年)参照。
(3) Lynn Payer, Disease-Mongers : How Doctors, Drug Companies, and Insurers Are Making You Feel Sick, John Wiley & Sons, New York, 1994.

(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2006年5月号)

All rights reserved, 2006, Le Monde diplomatique + Seo June+ Saito Kagumi

http://www.diplo.jp/articles06/0605-5.html Link

― posted by 大岩稔幸 at 10:42 am commentComment [1]

医師の疲弊

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「みんな疲れている」

24時間体制で小さな命を見守るNICU(新生児集中治療室)の小児科医。医師不足による疲弊は深刻だ(高知医療センター)
「患者には『24時間診てくれ』と言われるが、うちは2人しかいない」
「うちは当直明けの医師が交通事故を起こした」「このままでは共倒れになる」―。

マイクを取り合うように医師が訴える。約2時間、それが延々と続いた。

2月20日、高知市内で開かれた小児救急医療体制検討会。高知医療センターのほか高知大医学部付属病院、国立病院機構高知病院、高知赤十字病院、JA高知病院の小児科医が顔をそろえた。

5病院は持ち回りで休日・夜間の小児救急に対応する「輪番病院」。高知市医師会が運営する平日夜間小児急患センターが閉まる午後11時以降の小児救急をカバーしている。

コンビニ化

その輪番病院が、最近は深夜も営業しているコンビニのようになっているという。
「全体の小児患者は増えていないのに、夜間の患者は増えている。しかも急を要する患者は少ない」

検討会に参加していた高知大の脇口宏教授(小児思春期医学講座)は、救急医療の「コンビニ化」による輪番制の崩壊を危ぶむ。

「子どもが夜中に熱を出すと慌てる。誰にも相談できない。小児科の専門医に診てもらいたい」「昼間、病院に連れて行きたいが、1日も仕事は休めない」

背景には核家族、共働き家庭の切実な声がある。だが、輪番病院の当直医は5年前の25人から17年度は22人に減り、18年度にはさらに20人へと減る。

小児科の医師不足は全国的に深刻化している。国は少子化対策からも、この4月から小児科で増え続ける時間外受診の診療報酬を手厚くする。小児の入院報酬も引き上げるが、小児科を目指す医師の「卵」を増やす策としては不十分とする声が多い。

月6回の徹夜

午前2時、高知医療センター四階のNICU(新生児集中治療室)―。1000グラム未満の小さな赤ちゃんが眠る保育器の側で、当直の小児科医がモニターに映し出される体温や血圧の変化に目を配る。

赤ちゃんの容体を確認してひと息つこうとすると、救命救急センターから呼び出しの電話が。「熱を出した子どもを母親が連れてきて…」

救急外来の診察を済ませ、急いで戻る。保育器の赤ちゃんの穏やかな寝顔を見て、ようやく横になる。すると、また呼び出しの電話が鳴る。この日は、NICUと救急の往復で夜が明けた。

医療センターでは8人の小児科医が毎日、交代でNICUの当直を務め、週に平均3回の輪番病院としての当直もこなす。

輪番日以外の夜間でも患者は来る。平均して2時間に1人。風邪などの軽症だからといって門前払いはできない。「1人が月に5、6回徹夜で仕事をするのは当たり前」になっている。

出産前後の母子に対する周産期医療の拠点、と位置付けられる医療センターのNICU六床は開院以来、常に満床の状態で推移。目の離せない赤ちゃんが多く、それだけ医師の負担も大きい。

「小児科医は医師になった時からそういった当直をしているから慣れている」
吉川清志・総合周産期母子医療センター長はそう言いつつ、「みんな疲れている。医者を増やさないと…」。

他県には、激務が小児科の勤務医を自殺に追いやった事例もある。小児医療の立て直しが叫ばれる中で、本県の小児医療の拠点からも危険信号が発せられている。

手術できなくなる日

モニターに映し出される心拍数や血圧などに目を凝らす麻酔科医。麻酔だけが仕事ではない(高知医療センター)  「あそこ(高知医療センター)で手術は受けない方がいい」―。そんなうわさ話が市中でささやかれている。


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医師不足による疲弊は深刻だ(高知医療センター)
http://www.kochinews.co.jp/rensai05/05tougou38.htm Link

― posted by 大岩稔幸 at 03:09 pm commentComment [1]

医局崩壊

12

医局なんて、はなから人事権なんて持っていませんよ。
持ってるのは、博士号を目指す組織である・・・それだけでございますな。「教室」ですから・・・。
その頂点に教授様がいらっしゃるわけ。
 
では、どうして事実上医局が人事をにぎることになっていったか 考えてみましょう。
 
かつてはですね、博士号というものが、医師にとってとっても大事なもので、まあ、今でも教授を目指すとすれば必須のアイテムだし、公立病院の部長クラスに博士であることを要件にしているところもありますが・・・とにかく 皆 博士になることを目指したわけです。
 
そうすると、大学病院には医師があふれてしまい、要するに食っていくのに困ったわけですな。一方で、地域病院なんかは医師がたりなくて困っている状況があったわけです。
 
さて、ここが大事なところですが、博士号は論文審査であって客観的なペーパーテストではないわけです。それはそう。医学の進歩に寄与するだけの独創的な研究成果をもって博士とすれわけですから、ペーパーテストなんかでとれるわけない。
 
で、その審査するのが教授であるわけです。人間の主観的な評価というわけです。だから、教授の心証というものが、とっても怖かった。教授がそんな気はなくても、皆が恐れてしまう.
 
話を戻しますと、そんなわけで、まず病院側から教室にofferがある。教室の方は医局員を食わせるのに困ってますから とりあえず飯の種とそれらの病院が映る。で、教授が言うわけですな。 「君しばらくあの病院に行ってくれないか・・・」と。教室員は将来の博士号のためにうんと言う。雇用関係はその病院の主宰すれ組織とその個人の間でなされるけども、実質は医局からの派遣になる。
 
それでは教室員の中で不公平だろうということになる。そこで皆で交代で廻ろうということになる。
ここに関連施設と関連施設ローテートというものが発生したわけです。実際に関連施設ローテートが始まると、これはこれで価値がある。
 
つまりどんな病院でも学ぶ所がないわけではない。見聞がひろまる。地域病院では全科診なければならないから 丁度今の臨床研修医制度のように総合的な知識も得られる。責任がかかるだけより厳しく身についていった。最もその方法が正しいかどうか検証できないが、とにかくそれで患者様が自分の責任で治っていくから自信になっていった。
 
知らないうちに、皆最初の博士号のことなどわすれてしまい。医局の価値というものが関連施設ローテートになってきた。
 
今回の臨床研修医制度で壊れたものは、この関連施設ローテートの部分というわけです。だから今 地域は困った。実は医局は困らない。人気のない所から引き上げていくだけ。地域自治体は、まあ、私の目からみれば、のんびりしている。疾病は今地域で起きているのに・・・まあ、それは別の問題でございますな。
 
さて、ここで、根本的に 博士号というものをどう考えるかということになってくる。そんなものなくたって医師は立派にやっていける。専門医というタイトルだってある。もっともこの専門医というタイトルも教授そのものか、関連施設の長が症例指導に関与するから医局とは切り離せないが・・・
 
言っちゃあなんですが、皆様、あっしは博士号も関連各学会の専門医も指導医も全て持ってますが、医師になって20年あまりすぎた、まあ、折り返し点ともいえる現時点でそれらを持っていない人と それほど待遇面で差はありませぬな。
 
では、なんでこれらをgetしていったかというと、将来に対する漠然とした不安があったからですよ。とっておくとなにかいいことあるかもしれないと考えた。だからなんとなく医局の言うことを聞いていた。つまりは僕が小心者であったということですな。
 
初期臨床研修医制度を終えた皆様、どうです。自分は将来絶対に博士にならないと、現時点で決めてしまうのはなにか寂しくないですか?
今までの医局の力とは、そんな気持ちの積分の上になりたってきたわけです。
 
この気の毒な大学院生は、大学院である以上は博士習得を目指していた。それは多分 将来に対する漠然とした不安があったから。だから厳しいバイトでも、皆の心証が悪くなる事が怖くて、受け入れていた。いや、そうは思わなくても、皆もやっているから惰性でドンドン仕事する。まあ、僕もかつてはこのくらいの労働は当たり前にやっていた。しかし、それは仕事を断らなかった自分の選択ということになってしまう。
 
知らないうちに、方法が目的、つまり奴隷的に働くことが目的になってしまって、頭が働かなくなってくる。そして、悲劇が起きる。この人の場合は交通事故だったけれども、医療事故も同様な環境で起きる。患者様も気の毒だし、医師も抹殺される。今まで生き残れた自分は運がよかったとおもう。
 
だったら、どうしたらいいのだろう。
 
一つは 本気で医師に労働基準法の運用をしてしまうこと。
 
まず手術制限と外来制限が始まるだろう。社会は驚くだろう。
でもそれは医師ばかりバッシングしてきたことの当然の報いだ。
 
我々は献身という誇りを持って仕事してきた。
 
でも、社会が その献身に対して用意したものは刑事罰と家族を含めた社会的抹殺なのだ。私自身は福島県の産婦人科逮捕事件で、学会が医学的に逮捕起訴はおかしいと指摘するその事例に対して、県が所轄署を表彰したことで ある程度まで心が折れてしまっている。
 
この大学院生の事例では、大学には負けて欲しい。大学はこれを機に労働基準法を厳格に運用すると宣言してしまおう。いいではないか。国に対しては裁判でやるだけやったのだから。その結果責任は裁判所にある。
そして、本当の勤務医遵法闘争が始まるのだ。外来は一週間待ち、手術は3年待ちだ!! ある程度までいったら待ち時間は平衡状態に達する。待てなかった人が亡くなってこの世からいなくなるからだ。こんな風に、1度、本当に破壊し尽くしてしまわないと世間はわからない。イギリスがそうであった。やっと反省したらしいが。
 
我々は神ではない。一人の人間なのだ・・・・
 
と、いいながら、人間だから、鬼にもなりきれない。
 
目の前に腹膜炎がいれば 助けざるを得ない。
 
 
・ ・・・結局出口がないか・・・・
 
mixi ドクター(医師・医学生)トピック
ベース医者
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=3&comm_id=5351&id=8388397 Link
 
 
今、その学位というものが
医局存在価値として厳しく評価されようとしていると思います。
 
医局は学位に価値を見出した人々の分の人数分を養う組織になるでしょう。
地域病院までいかんでようなりますな。
 
地域はどうするかな。
この先、都市部で医師が余っても、食うのに困っても、医局ローテートのようにリターンできることが保証されていなければ、若い人が絶対いかんですわな。
そのあたりで、自然に人材バンク用の別組織ができるのかしら。
うーん、わかりきっていたことなのに、新臨床研修医制度作った人たちがこの事態を想定外といっているのは噴飯物ではありますね。
 
結局、人材バンク用の別組織が医局にとって代わって・・・多分地域には厳しい労働条件になるでしょうね。だって博士を担保にした医局とちがって労働条件しか赴任の材料がないのですもの。
 
でも、皆 言うこと聞くかなぁ・・・
 
ん・・・大学院生の話とは関係ないか。
2006年09月10日
 
mixi ドクター(医師・医学生)トピック
ベース医者
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=3&comm_id=5351&id=8388397 Link

― posted by 大岩稔幸 at 11:59 pm

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