2010/6/23
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2009年はダーウィン生誕200年だった。ダーウィンは1859年、『種の起源』を出版し、1871年には『人間の進化と性淘汰』を著した。その中で、「これから 私達はいくつかの例において、闘いで他のオスを打ち負かすよりも、メスを魅了する力の方が重要であると云う事をみる。これは未だかつて予想も出来なかった」と書いている。その後の資本主義、帝国主義の中では、『種の起源』は弱肉強食で表きれる自然淘汰のみ強調されてきたが、近年は性淘汰について見直されている。人類学をその目で見ると、面白い世界が開けてくる。ここでヒトと、類人猿のチンパンジーとゴリラを比較してみる。
チンパンジーとゴリラとヒトの性は、婚姻パターンの違いで、それぞれ乱婚、ハーレム、一夫一婦性である。ヒトの性は、どちらかといえば生殖よりも快楽の方が主になっているが、元来、動物にとっては子孫を残す行為である。多くの動物でメスをめぐる争いは熾烈であり、しばしば死も伴う。
その点では、チンパンジーの乱婚も優れたシステムであろう。発情期にあるメスは、排卵を示すシグナル(真っ赤になった性皮)をお尻に表し、それを見てエキサイトしたそのグループのオス全部と関係を結ぶ。1回の妊娠のために多くの異なるオスと500〜1.000回交尾をするともいわれ、オスたちは順番待ちをしてでも、それに及ぶとのことである。メスを独占しようとするからオス同士の争いが生じるので、それがなければグループ全体で仲良くできる。しかし、その中にも自分の子を残す競争はある。チンパンジーは乱婚社会といってもボスはいる。ボスの役割はグループ内の秩序を保つとともに、他グループに対して、縄張りの確保をすることである。権力を有するボスは、他のオスよりも、多くの子どもを残すのも事実である。
男性性器の形態で言えば、チンパンジーの睾丸は体重比で大きく、精子を沢山つくることができる。オスのヒツジは一日に20〜40回の射精が可能というが、睾丸が大きいチンパンジーのオスも精力的で1時間に1回、5回しても貯蔵精液の半分は残るときれる。一方ヒトも体重比で睾丸が大きい方だが、一日、6回も射精すると貯蔵精液は枯渇してしまう。
チンパンジーのペニスは細いが長い、しかも陰茎骨まで持つ。オスもメスも多くを相手にしなければならないので、性交時間は短い。しかし、より粘性が高い精液を、短時間に大量に奥まで確実に送れるオスが、自らの子孫を残す確率が高くなる。
一方、ボスのゴリラはハーレムの主であり、グループ内に競争相手もいないので、睾丸もペニスも小さくてすむ。メスは発情のシグナルをわずかしか示さず、発情期のみしか性交はしないが、効率的に子どもをつくることができる。とは言っても、一日に2〜3回、1回の妊娠に対して20〜30回交尾するといわれる。ハーレム内でもときどき政権交代があり、新しいハーレムの主は前のボスの子どもを殺すことでメスの発情を促し、自分の子どもを残すメスは一生に一度は子殺しに遭遇するためか、次期ボス候補を含めた劣位のオスとの浮気も行う。これも子殺しを避ける保険であろう。
18世紀初頭、888人の子どもをつくったモロッコの王様は例外中の例外として、ヒトは“原則的”に一夫一婦制である。個々のケースでは、乱婚型もハーレム型もありそうな感じではあるが・・・。
ヒト以外の霊長類は性交後、何気ない様子で行動することから、オーガズムが無いという説もあったが(デズモンド・モリス;裸のサル)、今は否定的である。
オスのオーガズムは射精に伴う反応で性的快楽をもたらし、繁殖行動を強めることになったという。これは納得できる説明である。メスのオーガズムについてもいくつかの説がある。女性のオーガズムは男性とは違った適応の結果という。一つはオスによる子殺しへの対応という説である。
前述したように、ライオンやゴリラで見られるが、オスは一般に自分と交尾しなかったメスの子を殺し、その行為によってメスを発情させ、自分の子孫を残す。もし、性的快楽という確実な報酬、オーガズムがあれば、多くの交尾を求めるメスは、子殺しのオスからうまく逃れることができる。射精で終わってしまうオスとは違い、長い不応期がなく、何度も繰り返しオーガズムを得る能力のあるメスは、多くの子どもを残すことになる。また別の説では、パートナー選択の適応結果だという。男女間の性行為が、必ずしも女性にオーガズムをもたらすものでもない。しかし、自分に十分なサ−ビスと、性的な快楽をもたらしてくれる恋人はよきパートナーとなり、熱心な父親になるという訳である。
チンパンジーもゴリラも、主に草食であり、授乳期が過ぎれば、生まれた子どもは自分で食料を見つけて食べる。その点、何でも食べるヒトは違う。ヒトの祖先はもともと樹上生活をするサルである。そのため一回の出産でだいたい子供は一人であり、育児に十分手をかけることができるが、そうでなければ育たない。その後、雨季と乾季のある熱帯サバンナで生活するようになったが、そこはライオンなどの捕食ものの危険が多く、食料確保も困難だったはずである。
ここで草食から肉食もするようになったとされる。当初は他の肉食動物の食べ残しをあさることから始まるが、道具の使用で次第に自ら狩りができるようになった。また、植物の根など、繊維性の食料を摂っていたが、肉食や道具の使用、さらには火の使用による調理法の変化で、柔らかい食料が多くなった。それにより、頭部を締め付けていた咬筋に変化が生じて小さくなり、脳の発育を促した。
複雑な生活を営むには、子どもには15年以上に及ぶ養育や教育が必要となり、子どもを自立させるには夫婦の強い絆も必要となった。それには、性が大きな役割を果たし、他の霊長類にない性行動を身につけることになった。性交のほかに、キス、ペッティングはもちろん、裸の皮膚は性感を高めるため体毛を失ったという。授乳器官の乳房も性器宮となり、対面性交することでお互いのコミュニケーションを深めることができる。ゴリラの眼球が黒いが、ヒトは白くなり、お互いに見つめ合うことで意思の疎通さえできるようになった。
さらに興味深いのは、睾丸がチンパンジーより小さいけれども体重比では大きく、ペニスも大きく太い。それで女性を満足きせ、他の男性に走らないようにずる。メスに性のシグナルが明らかにあれば、オスはその受胎期だけ相手して、他の期間は他のメスに移ることもある。
ヒトの先祖が発情期を隠すようになったことが、自分の子どもを得るためには、いつも性的関係を維持しなければならず、長期の関係(家庭)をもたらしたと考えられる。
また、肉体的に劣るヒトが狩人として生活していくためには、オス同士の協力がなければ獲物は得られない。ボスがメスを独占すれば協力は得られないので、この点からもー夫一婦制は必然である。
ただ、ヒトの一夫一婦制にも「マイホームバパ説」と「たくさんのパパ説」という考えがある。前説では、男性が家族に愛情を持ち、食料を運ぶことで確実に子孫を残すことができたであろう。しかし、夫婦間の強い結びつきが必要だとしても、狩猟による事故や戦いや飢餓などは日常の事であり、子どもが成人するまでに父親が亡くなることも多かったはずである。後説では、一人の父親の子どもを持つより、複数のDNAを入れること、つまり父親の違うことで多様性に富んだ強い子どもをつくることができたとも考えられる。また、子どもの親は‘誰か’という、母だけが知る事実もあるため、心当たりのある男性は本当の父親ではないにしても、子どもの母親を援助することになる。そのためか女性の方からの浮気も多かったはずで、これもまた保険という意味合いがある。
その例として、南米先住民、アチェ族の話がある。1974年、初めて文明人(?)に接した彼らの40%が免疫を持たないために、感染症で死亡したという不幸な歴史を持つ。男の間では、こん棒での戦争は細野捜索事や多くの未亡人が発生する。正式の結婚制度ではないが、2人以上のパートナーを持つ一夫多妻の社会ともいえる。しかし、父を持つ子どもは86%が育ち、父がない子は50%以下の生存である。このような社令では厳格を一夫一婦制は成立しないであろう。
また離婚は結婚4年目が−番多いという、ある研究がある。その説明では、結婚1年目は相手に夢中であるが、やがて子どもが誕生する。授乳期には夫の協力がなければ生活ができない。しかし、歩き、話すことができる3歳になれば手がかからないようになり、母系社会では親族の誰かが面倒をみてくれるようになる。それまで頼りきっでいた夫だけでなく、他の男性にも目が向くようになり、結果として、環境の変化に強い子どもが得られる確率が高くなるという説明である。一生、同じペアを組む白鳥のような例もあるが、多くの鳥類は1年で子育てを終え、翌年には新たなべア形成をする。つまり、結婚は1年契約である。ヒトも4年契約みたいな遺伝子がヒトの中にあるのかもしれない。
現代社会ではどうだろうか? 毎月、決まった額の御亭主だけからの給料だけでは生活が賄えない。そこで、ちょっと不倫をすることで、ボーナスを手に入れることができる。このような例は人類誕生までさかのぼって存在するように思える。
1980年代、英国の婚外子は4%程度と推定されていた。
現在でも子どもと父親のDNA不一致率が30%を超える部族もある。ある意味、もともと、私たちには不倫するDNAが組み込まれているのかもしれない。しかし、何と言っても、一夫一婦制の強い絆が、長い養育期間、家族に食事を与え、子どもを教育し、結果としてヒトをつくったのである。
ちなみに、オスとメスが仲良く協力してヒナを育てるツバメでさえ、ペア外交尾の子どもの比率は26%にもなるそうである。
チンパンジーの中でも、人間の音声言語を理解し、ヒトに次いで知的といわれるボノボチンパンジーは性をコミュケーションの手段にすることで暴力のない社会をつくっている。さまざまな体位でいろいろな相手ともセックスを楽しむ。このようなことを両性とも日に数十回も行うそうである。ヒトにおいても、性を間において夫婦が強く結び付き、子どもを育て、一方では不倫することで多様を子孫をつくる。どちらが原因でどちらが結果ともいえないが、婚姻の形態が変化し、性行動も変化してきた。
いずれにせよ、ダーウィンのいう“自然淘汰”“性淘汰”の課程がホモサピエンスを誕生させた。全人類が自由に結婚できる現在、もうヒトには自然淘汰による進化はないのであろうか? DNAの変化の可能性について考えられるのはHIVがまん延している南部アフリカでHIVに強い遺伝子の出現。また逆に、文明の進んだ先進国ではヒトにとって不利な突然変異の遺伝子の蓄積が当然考えられる。
一方、近年、遺伝子工学の進歩はめざましく、病気または不利な遺伝子治療は、受精卵の操作におよび、一歩進めば、許きれないデザインベビーの誕生を見るかもしれず、こうなると“進化”という問題ではなくなってしまう。
大塚薬報 2010/No.656
― posted by 大岩稔幸 at 01:08 am
2010/4/28
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3月15日の日本経済新聞に「質が高くて効率的な医療・介護をぜひ」と題した社説が掲載されていました。医療の提供体制、高齢者の医療と介護、保険財政の改革などを提言するものでした。その中で、「高い医療技術を生かして医療・介護産業を育てる」という視点から、「保険診療と保険外診療の組み合わせ(混合診療)の原則解禁が欠かせない」と述べられていました。内閣府の規制改革会議でも、最重要課題のトップに「保険外併用療養(いわゆる「混合診療」)の在り方の見直し」が挙げられ
ています。
【混合診療を解禁するといいことづくめか?】
現在の日本の保険診療では、保険診療と保険外診療(自由診療)を併用すること、つまり混合診療は原則として禁止されています。保険で認められていない保険外診療が診療内容に加わった場合には保険が適用されず、全額が患者の自己負担となります。
例えば、「海外では普通に使用されているけれど、日本でまだ未承認の薬で治療してほしい」という場合には、1か月分3万円の薬代金を追加で自己負担すればよいというわけではなく、保険適用診療分も全額自費での治療になります。
この場合、混合診療が認められていれば、診察検査代金7万円の自己負担(3割)分2万1000円+薬代3万円=5万1000円で済みます。ところが、混合診療が認められていない現状では、保険適用診療分も全額自己負担となりますので、診察検査代金7万円+薬代3万円=10万円になってしまうのです。
このように、混合診療を認めれば、保険外治療を望む患者の自己負担額は大幅に減ります。また、保険外治療分は国庫負担が生じないため、医療費の削減効果も見込まれます。こう考えると、利用者の多彩なニーズに応えることができて、なおかつ健康保険料からまかなう医療費負担も減るのであれば、「さっさと解禁して、余裕のある人は医療費を多く支払って望む治療を受けられるようにすれば良いじゃないか」と思うことでしょう。
でも、混合診療解禁問題は、そんなうまい話では決してないのです。
【自由診療サービスが病院の収入源に】
もしも混合診療が解禁されると、病院でどのようなことが起きるでしょうか。
「症状はないけれど腫瘍マーカーをチェックしてください」とか、「胃や大腸の内視鏡検査は静脈麻酔を使用して、痛みなくやってください」などといった患者の要望は、現状の保険診療ではカバーされていません。もしも混合診療が解禁されると、患者は追加料金を支払うことでこれらの要望を受け入れてもらえるようになります。
一方、病院の側にしてみると、現状ではほとんどの病院が低い医療保険点数のため赤字に苦しんでいますので、保険診療以外に数万円の追加収入が得られる自由診療サービスはどんどん提供したいところです。混合診療が解禁されれば、多くの医療機関が上記のみならず患者の細かなニーズに応えた様々なサービスを打ち出して、収入アップを図ることでしょう。
実際に、差額ベッド(追加料金が発生する個室などのこと)の比率制限が全病床の2割から5割に引き上げられた時には、大部分の病院が上限の5割まで差額ベットを増やして対応しました。病院にとって1日3万円の差額ベット代金は、売り上げの1割以上を占める貴重な収入源なのです。
【公的保険診療しか行わない病院は「完敗」する】
ここまでの説明だと、「今まで国民皆保険だからという理由で十分なサービスを行なってこなかった医療機関が、必死にプラスアルファのサービスを行なうようになるのだから、良いことではないか」と思われるかもしれません。
しかし、話はそれでは終わりません。
数万円の追加収入が得られるサービスを次々と提供した病院は、その利益を再投資して最先端の医療機器をどんどん導入します。スタッフにも高待遇が提示できるため、優秀なスタッフが集まってきます。一方、追加自己負担金をなるべく生じさせないで、現在の医療費の枠内で頑張っている病院は、待遇を改善できずにスタッフを引き抜かれ、赤字のため医療機器も最新のものが揃えられず、設備がどんどん老朽化します。
「混合診療を導入しても、保険診療部分が維持される」と考えるのは幻想です。公的保険でカバーされる部分だけで治療を行なう病院は、混合診療を取り入れた病院に、数年のうちに完敗するでしょう。気がついた時には、健康保険適用外の自己負担金を支払わないと満足な医療が受けられないような状況になっているのです。
【医療における消費格差を生み出す】
現在でも、「1日当たり3万円の差額ベッド代金がかかる部屋ならばすぐに入院できますが、差額なしの病室は現在空きがありません。入院は1か月先まで待っていただくことになります」という事態が頻発しています。
「追加分を自己負担すれば多様な医療サービスを受けられる」という状態を制度的に認めると、お金を支払うことができるお金持ちは良い治療を受けられることになります。一方で、お金のない人は必要な医療を受けられない、良い薬が手に入れられないという状態を作り出すことになるのです。
誰でも病気になった時に、必要な医療を少ない負担で受けられる状態を維持するためには、医療単価をアップするしかありません。それがこれほどまでにスムーズに進まないのは、私には信じ難いことです。
日本の総医療費は約30兆円で、パチンコ産業の売り上げとほぼ同じくらいだとよく言われます。ただし、そのうち国庫負担分は12兆円にしか過ぎないのです。混合診療は、「みんなに広く平等に」という現在の医療の方向性に、真っ向から相反するものです。支払い能力によって受けられる医療に格差がつく社会にして、本当にいいのでしょうか?
このコラムはThe hottest OPINION site in Japan JBpressよりの転載です。
http://jbpress.ismedia.jp/category/medical ( http://jbpress.ismedia.jp/ )
― posted by 大岩稔幸 at 10:28 pm
2009/7/3
カテゴリー » 医 学
電車の車内に坐る女性の乗客3人はマスクをかけ、男性2人はかけていない。その一人は咳をして飛沫を撒き散らしている。左上に「『マスク』をかけぬと‥」とあり、体温計とベッドで臥している場面が描かれている。マスクは黒色の菱形をしている。下段には、縁先で母親と女の子がうがいをしている。お盆にうがい薬の瓶が置かれている。
斜めの帯に、「汽車電車人の中では『マスク』せよ。外出の後は『ウガヒ』忘るな」と文語体で善かれ、右下に黒地に白抜きの文字で「『マスク』とうがひ」と大きく記されている。「うがひ」は「うがい」のこと。語源は鵜飼、鵜が魚を呑んで吐き出すことに由来するという。
これは、今から90年前、大正7年から9年にかけて大流行したスペイン・インフルエンザ(通称スペイン風邪)の予防のため、内務省衛生局(今の厚生労働省)が作成して全国に配布したポスターの一枚である。
美術作品とはいえないが、当時の庶民の風俗が的確に措かれており、医療史はもとより社会文化史の貴重な資料といえる。このほか、「病人は別の部屋に」「予防注射と日光消毒」などを標語としたポスターが8種ほど作成され、3万枚以上も配布された。
スペイン・インフルエンザは世界史最大の疫病といわれ、第一次世界大戦に乗じて全世界に流行し、世界で死者4千万人、日本国内では死者50万人という大災害をもたらした。これは世界大戦や関東大震災の死者の4〜5倍にあたる。このインフルエンザはスペインに発生したわけではないが、世界大戦中でスペインから最初に報道された。いずれにしろ当時の人たちにとっては未知の「新型インフルエンザ」であった。忘れられたその歴史的事実については歴史人口学者・速水融(あきら)の大著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店)に詳しい。
日本人の半数が罹患したというこのインフルエンザは、たとえば精神科医で歌人の斎藤茂吉は長崎医学専門学校教授をしていた大正9年長崎で罹患し、友人の島木赤彦あての手紙に「下熱後の衰弱と肺炎のあとがなかなか回復せず」と書いている。また福島県猪苗代町では大正7年11月10日 66歳の老女が犠牲になったが、彼女はアメリカにいた細菌学者・野口英世の母シカであった。
なかでも新聞紙上をにぎわせて話題となったのは演劇界の寵児島村抱月で、大正7年11月5日肺炎を併発して死去した。そのとき抱月は弟子で愛人であった日本最初の女優松井須磨子と同棲中であり、はじめ須磨子が罹患したが、抱月に移り、死に至った。
ところが、「カチューシャの唄」や「ゴンドラの唄」で一世を風靡した須磨子は、翌大正8年1月五日抱月のあとを追って縊死自殺をとげたのである。「女優松井須磨子自殺す」というニュースはセンセーショナルに報じられ、大正ロマンをかざる一大事件となった。
ところで、こうした人間ドラマが不気味に進行しているさなかの大正7年12月27日早朝、雪の残る東京に、22歳の青年が母をともない、妹の看病のため、はるばる東北の花巻から上野に到着、小石川区雑司ケ谷町の旅館に止宿した。青年は早速妹を入院先の永楽病院(東大付属病院小石川分院)に見舞い、その様子を故郷の父親あての手紙に、次のようにつづった。
「拝啓 今朝無事着京敦し候。午後二時永楽病院にて面会仕り候処別段に顔色も悪からず言語等常の如く御座候。昨日は朝三十八度夜三十九度少々咽喉を害し侯様に見え候。……」
こう書く22歳の青年は宮沢賢治。この年盛岡高等農林学校を卒業、家業を手伝っていた。父は政次郎44歳。花巻で質・古着商を営んでいた。母イチ41歳。そして妹とし子(トシ)19歳は目白の日本女子大学校3年生、積善寮に寄宿していた。
賢治は母を先に帰し、以後一人で毎日とし子の病室に通い、体温の上下など容態を詳しく父親に手紙で、毎日かならず一通、ときには二通書き送る。それによると、発熱ははじめ心配した腸チフスによるものではなく、翌年1月4日の手紙にあるように、「割合に頑固なるインフルエンザ、及肺尖の浸潤によるものにて今後心配なる事は肺炎を併発せざるやに御座候」ということであった。
インフルエンザは今も昔も学校など集団生活している人たちを真っ先に襲う。とし子のいた女子大でも学生の3人に1人がこのために欠席したという。とし子は資産家の娘であったので、名のある病院に入院し、主治医は名医といわれた二木謙三博士で、当時としては最高の治療を受けることができた。
先の1月4日の手紙には、とし子が「伝染室」に入れられているとあり、「医員の注意は殆んど集中し居り候由決して御心配無之候」とある。
このスペイン・インフルエンザの災害については、後になって統計などでその被害の大きさが知られたが、当時は報道といえば新聞しかない時代であったため、この新型インフルエンザの恐怖について人びとは意外に気づいていなかった。当時はまだコレラ・赤痢・腸チフス・痘瘡の四種伝染病が最大の恐怖の対象であった。
宮沢賢治も妹が腸チフスでなかったことに安心し、このインフルエンザが前代未聞の死亡率の伝染病であるという認識はなかった。したがって、賢治の手紙には東京におけるインフルエンザ流行の世相を伝える文面はとくにないが、大正8年1月23日の手紙では、「近頃又感冒流行にて病院にも入院者大分増し申し候」とある。そして、先の1月4日の手紙に次のように書いている。
「尚私共は病院より帰る際は予防着をぬぎ、スプレーにて消毒を受け帰宿後塩剥(えんぼつ)にて咽喉を洗ひ候。勇々御心配被下間敷候。」
「塩剥」とは塩素酸ナトリウムの俗称で、うがい薬として使われていた。病院の「伝染室」の出入りには専用の予防着をつけ、消毒していたことがわかる。
また1月28日の手紙では、「当地は感冒流行の噂は聞き侯へども成程と思ふ様の事には未だ会はず候。但し往来には仁丹を少しつヾ噛み、帰宿後は咽
喉を潅ぎ」と書いている。賢治がマスクをしていたかはわからないが、うがいをしていたことがわかる。
それにしても、科学者の一面をもつ宮沢賢治の父親あての45通の手紙は、おそらくスペイン・インフルエンザの症状について素人が記したもっとも精細な病歴(カルテ)であり、医療史の貴重な資料といえる。
あの松井須磨子の自殺事件は賢治の滞京中であったが、手紙には記されていない。病室の妹の両便の始末までしていた賢治は世間的事件などに関心が及ばなかったのかもしれない。2月下旬とし子が退院すると、3月上旬とし子をともなって花巻に帰っていった。
さて、今日でもインフルエンザといえばまず「マスクとうがい」である。
90年前、宮沢賢治は東京の街角のどこかに貼られていたこのポスターを目にしていたのではないだろうか……。
スペイン・インフルエンザの予防ポスター
内務衛生局編『流行性感冒』大正11年より
(速水融氏の厚意による)
Vita 2009/7・8・9
通巻 No.108
北里大学名誉教授
立川昭二
癒しの美術館 43
― posted by 大岩稔幸 at 09:45 pm
2009/6/13
カテゴリー » 医 学
― posted by 大岩稔幸 at 12:15 am
2009/5/24
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新型インフルエンザの感染が広がっている。各国で報告されているように病原性は低いようだが、国内ではパニックに近い状況になりつつある。落ち着いて現状を評価し、次の手を打つべきだ。
政府の対策は、高病原性鳥インフルエンザの人への蔓延という最悪のシナリオを前提にして作られた。東南アジアで鳥インフルエンザがまん延していることを考えれば、そのこと自体は間違っていなかったと思う。
ただ可能であれば、感染の広がりだけでなく、病原性のレベルに応じた複数の対策を作っておけばよかった。
歴史を振り返ると、インフルエンザの世界的流行(パンデミック)には、非常に被害が大きかった「スペイン風邪」もあれば、それよりも被害の少ない「アジア風邪」や「香港風邪」もあった。
一方、致死率が60%を超える現在の鳥インフルエンザのような病原性の極めて高いインフルエンザがパンデミックを起こしたことは、少なくとも20世紀にはなかった。
そうした事実を踏まえ、感染の広がりに加え、重症度がこの程度ならこういう対応を取るという、複数段階のレベル別の対応指針を作っておくべきだった。
きめ細かな道筋が決まっていたならば、最悪のシナリオと現実とのギャップに苦しむこともなく、混乱を招くことはなかったと思う。欧米で混乱が起きていないのはそういう柔軟な対応ができているからではないか。
一部の医療機関で診療拒否が起こったのは、最悪のシナリオだけが示されていたために、見えないものに対する恐怖が先行してしまった側面があるように思う。
今後は対策を修正して、現実に見合った対応をしていかなければならない。それには、このウイルスの特性、病気の状態をきちんと解析しなければならない。
入院した人がどのような経過で改善したのか。あるいは重症の人はなぜそうなったのか。臨床の専門家が現実の患者のデータを解析して、このインフルエンザのリスクを評価する必要がある。
それに基づいて現実の対応を考えなければならない。もちろん個人がマスクや手洗いなどで感染を防御するという基本はどのシナリオでも同じだ。だが行動制限など社会の危機管理は変わる。
リスクを評価し、病原性が低いと分かったら、それに応じて医療態勢を決めなければならない。その際、感染が広がっているのに、熱の出た人は全員、発熱外来に行くことにすると、パンクしてしまう。
病原性が低いなら、軽症の人は一般の開業医に診てもらうことも可能になる。その態勢を保ちつつ、重症化する人をターゲットにした対応に持って行かねばならない。
そのためにはすべての医療機関の参加が必要だ。大病院の一部は重症の人を引き受ける。インフルエンザ以外の重症患者を診る病院もなければならない。開業医は自分の患者を守りながら、発熱外来を支援する。そんな態勢が求められる。
仙台市では百を超える医療機関が参加し、全国に先駆けて、発熱外来をみんなで分担していく動きが出ている。冷静な判断であり、それが医療従事者の務めだと思う。
秋には病原性の高いインフルエンザに変わるかもしれない。おびえるのではなく、どの程度のリスクかを確実に把握し、社会で共有しないといけない。さもないと、再び訳も分からないまま右往左往することになる。
東北大教授 賀来満夫
かく・みつお 53年大分県生まれ。専門は感染症学・感染制御学。99年から現職。厚生労働省院内感染対策中央会議メンバー、世界保健機関(WH0)新型肺炎(SARS)インフルエンザ対応外部専門家を兼務。
レベル別の指針必要
リスク把握し混乱防げ
2009年5月20日
高知新聞 夕刊
― posted by 大岩稔幸 at 11:53 pm
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