個人情報の利用目的についての方針



 当事業所における個人情報の方針は以下の通りです。

1. 基本方針
(1)個人情報は、ご利用者本人に帰属するものと考え、慎重にかつ適正に取扱います。
(2)個人情報は、ご利用者・ご家族の介護支援の視点に立って利用します。
(3)職業人として職務上知り得た秘密は、規定された目的以外に使用せず、退職後も守秘義務を遵守します。

2. 個人情報の利用目的
 個人情報の利用目的は以下の通りします。
  1)当事業所が介護サービスのご利用者等に提供する介護サービス
  2)介護保険事務
  3)介護サービスのご利用者に係る事業所との管理運営業務のうち、
   1.入退所等の管理
   2.会計・経理
   3.事故等の報告
   4.当該ご利用者の介護サービスの向上
   5.学生等の実習への協力

3. 他の事業者のなどへの情報提供を伴う事例
 1.当事業所がご利用者などに提供する介護サービスのうち、
 (1)当該利用者に居宅介護サービスを提供する他の事業者や居宅介護支援業
   所等との連携(サービス担当者会議等)、紹介への回答
 (2)その他の業務委託
 (3)家族等への心身の状況

 2.介護保険事務のうち、
 (1)保険事務の委託
 (2)審査支払機関へのレセプトの提出
 (3) 審査支払機関または保険者からの紹介への回答

4.損害賠償保険などに係る保険会社などへの相談または届出

5.例外規定
 上記各項に関わらず本人の生命、心身に危機が直面している場合はこの限りではありません。

                   医療法人陽晃会
                      天王診療所 壽幸園


   付則
     この方針は 平成18年 4月 1日より施行します。

― posted by 大岩稔幸 at 10:29 pm

だるま夕日

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 高知県の西南端に位置する宿毛(すくも)市は、冬でも過ごしやすい温暖な気候で、海や山、川など豊かな自然に恵まれた町。そして、この町にある宿毛湾は、さまざまな形で海を愛する人たちから注目を集めている。

「魚のゆりかご」といわれるほどの磯釣りのメッカであり、湾に浮かぶ沖の島周辺は、海水が澄んでいて珊瑚礁や熱帯魚が数多く見られるとあって、国内でも有数のダイビングスポットとして人気も高い。

 また宿毛湾はたいへん入り組んだ形状をしていて、水深も深いため、たくさんの魚が集まってくる。夕暮れ時まで釣り糸を垂らしていると、ちょうど夕日が海に沈むところだった。

 しばしその情景を眺めていると、夕日が海に沈む直前で水面に溶けてしまうかのような幻想的な姿に変貌していく様子を見ることができた。夕日が完全に沈みきるまでの数分間、あまりの荘厳な光景に時間が過ぎていくのも忘れ、その場に立ち尽くしてしまった。

 その素晴らしい夕景は、宿毛湾の冬の風物詩『だるま夕日』という。11月中
旬から2月中旬の3カ月問で実際に目にすることができるのは、わずか20日ほど。綺麗なだるま形になるのはそのうちの10日程度と、まさに見るだけで「幸運」だといいたくなる夕景なのだ。

 大気と海水の温度差が大きく、冷え込みが激しい晴れの日に、海面から立ち上る水蒸気によって光が屈折して生じる自然現象で、風の強さも含めた気象条件がそろわないと実現しない、一種の蜃気楼のようなものである。

 こんなにも心を揺さぶられる夕景は初めてだった。今冬のシーズン中には
再び宿毛を訪れて、今度は多くのカメラマンに紛れ、真っ赤なだるま夕日を
カメラに収めたいと思うのだ。
                                   
宿毛市の観光に関するお問い合わせ先:宿毛市観光協会 
TEL:0880−63−0801
URL:http://www.sukumo-darumayuhi.jp Link


 宿毛湾の4つのポイントから観賞できるだるま夕日は、めったに見ることのできない「幸運の夕日」といわれている。だるま夕日が見られる咸陽島やサニーサイドパークは、“日本の夕陽百選”にも選ばれている。絶好の被写体として全国からカメラマンが訪れ、美しくだるま形に沈んでいく夕日をカメラに収めていく。写真は宿毛市桜公園臨時駐車場からの夕景。

― posted by 大岩稔幸 at 07:13 am

おしぼりうどん

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長野県の北部に位置する坂城(さかき)町は、葛尾(かつらお)山や五里ヶ峰、鏡台山などを背景に、中心部を千曲川が貫いて流れる静かな里である。

この地には「信州の伝統野菜」にも認定された珍しい野菜がある。「ねずみ大根」。収穫は11月から12月。下膨れの短い形状で、細長い尻尾が付いている様から、その名が付けられたという。すこぶる辛みの強い大根である。この絞り汁に茹でたうどんをつけて食す。400年ほど前からの郷土食は、初めて遭遇した者にいかなる感慨をもたらすか。

信州は山の国である。日本海に近ければ北海道あたりから運ばれてくる昆布でだし汁を取っただろう。太平洋に近ければ、黒潮に乗って北上する鰹を元に、鰹節でだし汁をこしらえもしただろう。

流通網の整備された現在なら訳もないことだが、江戸時代にあっては、信州・坂城は海の幸に頼るすべがなかった。そこで考えついたのが、ねずみ大根を搾った汁につけて食べる方法だった。

唐辛子系の辛さならまさしくホット、熱い辛みが舌の上、口の中を炎の原に変えていくが、ねずみ大根の絞り汁の辛さはタイプがまったく異なる。

ひんやりとした白い静寂の刹那に包まれたあと、首の後ろから頸椎をさかのぼって、頭のてっぺんから天井に向かって極めてクールな、氷の微笑をたたえつつ、冷たくもしびれるほどに辛いという目くるめく味わいを体験する。

しかし、一度味わってしまえば、天に通じる未知なる辛みはクセになる。最後の最後には隠れた甘みが感じられる。この味を地元では「あまもっくら」と表現するらしい。

味噌を入れれば一躍マイルドに変貌。これはこれで美味なのだが、やはり、最初は味噌なしで食べてみたい。

俳人・松尾芭蕉はこんな句を残している。
「身にしみて 大根辛し 秋の風」

先人たちが生み出した「おしぼりうどん」の奥深さ。
クールな辛さがクセになる。


坂城町ホームページ
http://www.town.sakaki.nagano.jp/sightseeing/W004H0000007.html Link
おしぼりうどん
http://nezumi-daikon.com/modules/daikon_recipe/index.php?content_id=1 Link








SKYWARD
JAL機内誌 2010.11

― posted by 大岩稔幸 at 12:43 pm

謹賀新年2011

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卯(う)の年が明けた。年年歳歳というけれど、またいつもの年の暮れがあったし、またいつものお正月が巡ってきた。

年越し、年明けに人は何かを思う。それぞれの家がそれぞれの流儀で行事を行い、きょうの日を迎える。人はなぜこのように、毎年同じことを繰り返すのか。明治の文豪・幸田露伴が、面白いことを書いている。

「一年に四季があってひと巡りして来たところで、樹木も年輪というものが出来るのである」。だから年ごとに重ねるはずの年輪がぼんやりすると、妙に締まらない。「竹に節が無く、網に結び目の緩いようなもの」になる。

そこでこの博覧強記の文豪は、「年の関」というものを仮定する。そしてその関へかかった時に、「一寸思い入れがあって関門を通った方が面白そうだ」(「新年言志という事について」)。一年の計は元旦にあり、というやつだ。

大きな計画、高い目標を掲げるのもよろしかろう。神社にお参りに行って、「無病息災、家内安全」と地道な願い事をすることだって、立派な新年の思い入れだ。政治も経済も社会も、めまぐるしく移り変わる時代。予想を超えたことも起きるだろう。

〈初夢や 金も拾はず 死にもせず〉。夏目漱石のとぼけた句だ。平々凡々何事もないが、命のあることに感謝する。新年早々景気のいい話にはならなかったが、この句の心境が案外、庶民の心を言い当てている気もする。






高知新聞 小社会
2011.01.01

― posted by 大岩稔幸 at 12:04 am

時代おくれ

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 最近はデザインの学校が各地にあるし、デザインのコンクールも多い。卒業制作などを見るとアカぬけたすばらしい作品が眼につく。

 たしかに美しいパンフレットも多くなった。デパートのショーウインドウもイキなものがある。しかし、TVのバラエティショーはどうなのか、やたらにケバケバしい。原色があふれて、さらに電飾がピカピカ、チカチカするものもあり、人物が埋没していることが多い。装飾過剰で、見苦しい。

 わりあいとスッキリしていたNHKも、おかたいイメージから抜けたいという気分は解らないでもないが、朝番組でもゴテゴテしたものが多くなり、お花見の時の立看板みたいなのがでてくるのはどうも気に入らない。

 もっとも、これが今風で、ぼくの感覚の方がおくれているのかもしれない。いつのまにか古いタイプのアナログ人種になってしまったので、自信はない。

 なんだか、大安売り、テンコ盛りというけたたましい風情で、週刊漫画誌の表紙もゴチャゴチャしている。オモチャ箱をひっくりかえしたように乱雑。

 歌番組の若い歌手の歌っている歌詞の意味がよく解らない。チンプンカンプンである。

 年末のNHKの紅白歌合戦も装飾がきらびやかすぎるし、ほとんどダンサーのバックダンスの方が歌より印象が強い。歌合戦ではなくてあれではショー合戦である。歌手の衣装もあっとおどろくド派手なものがあり、悲恋に泣く女の情感をしんみりと歌っても、まったくチグハグで、こんなことでいいのかなと思って感情移入できない。

 今はシャンソンはすっかり下火になってしまったが、昔の日本人はシャンソンが大好きだった。ジュリエット・グレコは黒一色の衣装、カーテンも黒くて、さらにスポットをしぼって歌った。イヴ・モンタンのステージもシンプルで、歌は心にしみた。

 またTVのことになるが、司会者はTVの前にいる視聴者に話しかけるべきだと思うのに、人数だけやたらに多い出演者に話しかけて自分たちだけで笑ったり楽しんだりしていることが多い。おいおい、それはちがうだろう。それでギャラもらっているというのはまちがいではないか。と思うが「なに言ってるんだ。あんたは時代おくれ」と言われそうだ。







2010.10.16 高知新聞夕刊
オイドル絵っせい
やなせたかし

― posted by 大岩稔幸 at 09:28 pm

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