祇園祭
 平安時代のはじめ頃、都に疫病が流行して、多くの人々が死に絶えました。近年、病原性大腸菌O157が猛威を振ったり、最近では狂牛病や炭疸菌の不安の恐怖に悩まされていますが、むかしは、疫病の流行は大災害でした。この災厄の発生を政治的に失脚して処刑された人の怨みによる祟りであろうと考え、はじめはこの御霊をまつったのですが、怒りは治まりませんので、より強い神仏が求められたのです。この怨霊(御霊)を退散せしめることができるのは、素戔嗚尊のような、偉大な神格の神に頼るほかないと、祇園社に祀られているこの神に祈ったのです。
 
 怨霊は御霊(ゴリョウ)といい、これを退散させる祭りを御霊会(ゴリョウエ)と称し、貞観7年(865)6月7日にも行われたことが『三代実録』に記されています。そこには、

京畿七道の諾人、事を御霊会に寄せ、私かに従衆を聚め、走馬騎射することを禁ず。小児の聚戯は制限にあらず。

とありますから、それ以前より随分盛大に行われていたことと察せられますが、祇園社の名ではっきり記されているのは『祇園社本縁録』で、貞観11年(869)6月7日のことです。神泉苑に矛66本を立て、祇園社から神輿を送ったとされています。これが祇園祭のはじめでした。