人格障害

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強い父権のもとで掟、習慣の拘束力の強い伝統社会から、産業社会、ひいては、情報社会への移行にともない、人間の自由は 増大し、青年の職業の選択肢も大幅に増えた。
 
ちなみに、テレビタレントやロック歌手、コンピューター・プログラマーなどはその最たるもので、100年前にはおよそ考えられなかった職業だろう。
 
 職種の増加に対応して、人々の性格においても多様性を増したといえる。しかし、こうした自由と多様性の増大とは裏腹に、伝統社会とくらべ教育期間が長くなり、大人になるための青少年の課題が増えた。
 
青年の人格障害(personality disorder)が今日、社会において、また精神科臨床においても人々を悩ます大きな問題になってきているのは、こうした社会・文化の変化と無関係ではなく、何らかの相似性があることについては、多くの学者のあいだで一致をみている。
 
現代社会において、人々の仕事が細かく分業化された分、総じて、ひとりの人間としての自分の責任を引き受ける自立した主体性が弱くなっている印象がある。
 
主体としての自由、また権利要求が増えたのと引き換えに、人間の未熟化、ひいては幼稚化、つまり退行現象が人々のあいだで生じているのである。たとえば、ここのところ、テレビでは毎日、さながら運動会のように、いい年の大人たちが小学生気分でゲームに興じ、皆で笑うという番組が目立ち、多くの視聴者を獲得している。
 
また、マスコミでは、毎日のように議員や会社社長、教師、医師など社会人のモデルとなるべき人の仕事上の不正行為、またこれを隠蔽しようとする(みえすいた)嘘が明るみに出されている。
 
昔からこの種の悪が続いていることに変わりはないのであろうが、少なくとも現象として、今日、人間の邪悪性が公然のものとなり、なかば市民権を得ているかのごとくである。これも現代の社会病理であり、一部の人格障害はその臨床版といえる。
 
K.Schneider(シュナイダー)は、かつて今日の人格障害を先取りした精神病質人格を「その人格障害のために自らが悩むか、またはその異常性のために社会が悩む」人格と定義した。
 
現代の医療機関は今日の社会・文化のあり方の縮図という面があり、医療機関を舞台にして問題行動が生じ、医療機関が「悩む」人格障害が少なくない。
 
DSM において、人格障害は、青年期以後、「著しく偏り、広範でかつ柔軟性」を欠く「内的体験、および行動」様式が持続するとされている。しかし、この「持続」という規定には留保が必要で、期間においても様式においても、少なくとも精神遅滞が持続するのと同じようには、人格障害は持続しない。
 
一般に年齢が上がるにしたがい、障害の程度は軽くなり、中年から老年にかけて目立たなくなる。これはかつて「晩熟現象」と呼ばれた。
 
年齢による変化が最も少ないのは、統合失調性(分裂病質)人格障害と妄想性人格障害などのA群の人格障害である。
 
一方、境界性人格障害や自己愛性人格障害、さらに反社会性人格障害などのB群の人格障害は思春期・青年期を過ぎると、一時期の勢いは弱まり、なかには人格障害としてはすっかり消褪し、きわめて良好な社会適応をする事例も少なくない。
 
この世に生まれ、母親、父親、兄弟、友人などの一連の他者と出会い、小学、中学、高校、ひいては大学、会社などの一連の社会的集合体への組み入れの過程は、脳神経のネットワーク形勢に裏打ちされた心身両面にわたる平衡危機と新たな平衡創出のゆらぎのなかでの、不断の人格形成、ひいては陶冶の過程とみなせる。
 
一般に思春期・青年期が最も大きな心身両面での平衡危機に見舞われる時期であってみれば、この時期に対処的行動パターンとしての人格障害がかたち作られ、おしなべて、この時期を過ぎると激しさが減り、一部のものは単なる「青年期適応反応」だったように姿を消すといった、自然の推移はよく理解できるだろう。
 
精神医学においては、患者さんとの出会いや治療過程において、いかなる印象や感情を抱くのかという医師の主観的印象を、診断あるいは病態把握の補助的なものとする伝統があった。「プレコックス感」がその良い例である。
 
精神科医が、ある患者さんを「人格障害だ」といって当直医に申し送ったり、入院紹介をするとき、その医師が患者さんから受けた主観的印象にもとづいて「人格障害」の判断がなされていることが少なくない。
 
日常の臨床活動のなかでは、精神科医はDSMの人格障害の診断基準をいちいち参照して、人格障害の診断を下しているわけでは必ずしもなく、むしろこの印象診断のほうがより多く用いられている可能性がある。
 
その理由として、直感に頼るので時間がかからないという事情もさることながら、精神科医による「人格障害」に対する印象診断はかなりの普遍妥当性をもっていることが挙げられよう。
 
つまり、「人格障害」の印象診断では、邪悪な行動や意図に対する人間(医師)の判断が主観的ではあっても、そこに普遍妥当性が大きな役割を演じているのではないだろうか。

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加藤敏「医療機関への人格障害の登場」
現代医療文化のなかの人格障害
新世紀の精神科治療5
中山書店
¥24,000+税

― posted by 大岩稔幸 at 12:09 pm pingTrackBack [0]

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