古代ギリシアにおいては、一物は小さいほうが男性の肉体としては理想とされていました。巨根はむしろ野蛮人・道楽者などの象徴だったようです。アリストテレスも長すぎる性器は生殖機能に問題があると述べていたりします。ちなみにルネサンス期のイタリアでもギリシア文化の影響からかそうした考えはあったようで、ダビデ像も男根は小さく作られています。しかしそのギリシアでも巨大な男根像を崇拝する信仰は存在しており、悪霊を退けるため男根像をお守りとして携帯していましたし、半獣神のパンや酒神ディオヌソスに仮託された男根神の祭礼があったようです。まあ、パンやディオヌソスは野蛮・道楽者といった一面が当てはまらなくもないようですからそれが考慮されたんでしょうね。古代ローマを恥はじめヨーロッパ各地に同様な信仰が見られ、キリスト教が普及した後も「キリストの包皮」を聖遺物として崇めたり守護聖人が不妊不能治療の利益があるとして信仰されるなど名残が見られました。例えばドイツのトリアの守護聖人聖バルテルミーの男根なるものが聖遺物とされたり、フランスのロカマドゥールでは「ローランの剣」(男根の隠語として用いられたようです)と称される鉄棒が信仰されたりしています。
少し話がそれましたので、男根の大きさに関する話題に戻ります。男根が大きいのを否定的に見るのは古代ギリシアだけでなく、南米の現地民にも巨根は身分の低いしるしであると考えるものがいたそうです。ただし、南米現地民のすべてがそうだったのではないようで、南方熊楠によればアメリゴ・ベスプッチ「南米紀行」にある民族の女性がある草汁を男に飲ませて男根を膨張させ、それでも大きさが足りなければ毒虫に噛ませて腫れ上がられることで巨根を作り出していたという話があるそうです。時には誤って陰嚢を噛まれ不能になる不幸な例もあったとか。
古代ギリシアにおいては巨根は必ずしも肯定的には見られませんでしたが、後世には話が違ってきます。例えば近世における貴族男性プラゲットといって男根部分を保護し覆う機能のあるものを股間に装着していましたが、それについてモンテーニュは「まがいものと見せかけで、大きさを水増しする馬鹿げたもの」と評していますし、ロット地方のことわざに「うぬぼれの強い男とは、プラゲットのボタンを、ひとつはずすだけで用が足りるのに三つもはずすやつのこと」というのがあったりしますから少なくともこの時期には男根については大きいのがよいとされていたことは確かです。因みにこの時期の王侯でもっとも大きなプラゲットを用いていたのはイングランド王ヘンリー八世だそうです。好色で妻をとっかえひっかえした王様だけに、一物が大きいのを誇示したくなるのも何か納得ですね。
次に、イスラーム世界についてみて見ましょう。「千夜一夜物語」の中には、通常の状態では目をつけた男を特に巨根と思わなかったのが勃起した際に初めてその大きく力強いのに驚いたという女性の話もあって平常だけで大きさを判断してはならないと言っていたりします。
また、十六世紀のイスラーム法学者であるシャイフ・ネフザウィはチュニス太守に捕らえられ死刑を宣告されましたが、失われた性欲を呼び覚ます方法を教えると約束して許されました。その約束に応えるために著したのが「匂える園」で、コーランの教えに基づいた性愛指南書なんだそうです。その一部を少し引用します。
立派な男とは、女とともにいる時、その持ちものを大きくし、力強く、猛々しく、硬くできる者のことである。射精まではゆっくりと時間をかけ、射精して身震いした後は、すばやくまた復活する。このような男こそ、女たちに好まれ愛でられる。女たちが男を愛するのは、このためだけである。したがって、必ず持ちものは大きくなくてはならない。快楽のため、必ずそれは長くなくてはならない。男は、胴体は軽く、尻はどっしりとし、射精を意のままにあやつり、すばやく勃起できなくてはならない。持ちものが女の奥深くまで貫き、女たちを完全に満たさなくてはならない。それこそが、女たちの求める男というものである。(「匂える園」の一部、「ペニスの文化史」より)
…分らないのでイスラームに詳しい方がおられたら教えていただきたいのですが、これって本当に教えに忠実に基づいた結論なんでしょうか?ともあれ、イスラーム世界においても男根が大きいのを良しとしていた事が分かるかと思います。あと、「匂える園」は具体的な男根の大きさについては最大で指十二本分(握り拳三つ分)であり最低でも指六本半(握り拳一つ半)なければならないとしています。これに関しては、エジプトにおける「結婚の夜」でも同様に大きいものは12ブース(32cm)で握り拳三つ分であり、最低でも6ブース(16cm)で握り拳一つ半であってそれ以下は相手にされないとありますからイスラーム世界において標準的に求められる大きさがそれくらいと見てよいでしょう。
そして、インドです。「カーマ・スートラ」によれば男根は大きさによって兎・牛・馬の三ランクに分けられるとか。ちなみに女陰も深さによって鹿・馬・象に分類されるそうで、男女の大きさがつりあっていることが大事だとされています。因みに十六世紀の「アタンガ・ランガ」によれば兎とは指六本分以下の長さで、馬は指十二本分以上、牛がその間で大体17cm前後だとか。また、男根を大きくする方法についても述べられており、樹木に棲む毒虫の毛で刺激し更に十日間胡麻油を塗るのを繰り返すことで腫れ上がって大きくなるとされています。虫に刺される事で一物が大きくなるという話は結構多いようで、仏典でも「四分律蔵」五五巻に「仏いわく、五事の因縁あって男根を起たしむ。大便急る、小便急る、風志あり、慰周陵伽虫噛む、欲心あり。」とあり、男根が隆起する原因の一つとして欲情や便意に並び虫刺されが挙げられています。インドもまた男根信仰があった事は例に漏れず、シヴァ神と同一視されシヴァ・リンガと呼ばれました。
中国においては以前に述べた通りで、嫪アイという男が馬車の車輪を回す軸にすることができたとまでいわれる巨根を武器に始皇帝の母后に取り入った事例や清代の愛欲小説「肉蒲団」において勃起した犬の男根から海綿体を取り出し移植することで大きな一物を手に入れた主人公の話があったという事実を持って巨根を重んじていたと断言できると思います。なお、大きさが足りない場合でも根元に絹の紐をかけて強化したり、翡翠・象牙のリングを根元にはめて女陰を刺激したりして補っていたそうです。また、必ずしも男根の大きさや固さのみでは性交の良し悪しは決まらないという考え方も十六世紀にはできていたとか。
以上のように、多くの文化圏においては古くから男根が巨大であることを男性的として肯定的に捉えてきたようです。一部の文化においては一物が小さい事を男性美の理想としていましたが、彼等とて巨根を生命力の象徴やオスの強さと見る点では変わらなかったのです。世界中の男性たちは、忌避するにしろ素直に羨むにしろ歴史を通じて巨大な男根に心を奪われていたといえそうです。
<加筆(4/17)>補足記事があります(http://trushnote.exblog.jp/8409239/ )。
http://trushnote.exblog.jp/8264751/
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