ゲーム型政治

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「負けそうだから、リセットしてやり直そうっと」

 テレビゲームをしている子どもが時々、こんな言葉を口にします。物語を徐々に進めるジャンルのゲームは、途中で内容を記録する場所があって、リセットすればそこからやり直せるのです。

 主人公が危険な状況になった場合、何度でも元に戻すことが可能。仲間を組み直したり、武器を変えたり、敵の弱点を調べたり…。戦闘部隊の大将を代えることも当たり前の戦略です。

 先週、発足した麻生内閣の様子を見ていて、このゲームを連想しました。わずか一年ぐらいの間に、首相職の投げ出しから新内閣発足まで、国民は同じような場面を2度も見せられました。

 またもや、リセットされたのです。自民党という主人公が勝つために、軍団の長が代わり、各部隊長も入れ替え。日本を率いる人々がこんなにも安易に代わるとは。大臣ポストが極めて軽いのです。

 見栄えがすれば、誰でもいいかのような扱い。しかし本来、国を統べる大臣の職責はそんなものではないはずです。

 大臣という意味の「相」の字は木偏に目。木の高い所に上がれば見通しがきく。視野が開ければ、こうすべきだという助言ができる。だから「相」は先を見て助けるという意味に用いられ、やがて大臣を「xx相」というようになったとの説があります。

 日本という国の行く末を見ることができる先見性、そしてその状況に合わせた的確な政策を実行できる能力がある人材こそが、大臣になるべきなのです。

 「選挙を戦えない」などを理由に、猫の目のように首相や大臣が代わって、国民のための政治ができるはずはありません。いくら能力ある人が務めても、一年やそこらで結果は出せないのですから。

 また、リセットされるたびに時間と労力が浪費され、血税が消えることも見逃してはいけません。本当に必要な民主主義のコストであれば何も言いませんが、現状はどう考えても違います。

 国民受けを狙った劇場型政治は、さらに変質して「ゲーム型政治」になっています。内閣が一新されただけで、国民生活がよくなるはずはないのです。本当の主人公である私たちには今、一連の政治劇を冷静に見る確かな「目」が求められています。

― posted by 大岩稔幸 at 09:42 pm

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