2007年問題

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戦後のベビーブームに生まれた「団塊の世代」のサラリーマンがことしから、退職期を迎える。一方で、少子化はますます進み、大学の募集定員が入学希望者を上回る「大学全入」に突入する。

 世代の山と谷が引き起こす「2007年問題」が、ついに現実のものとなる。さまざまな制度だけでなく、社会の価値観も変わっていくようになるかもしれない。

 1947年から49年生まれの団塊の世代は約700万人と推計されている。うち就業者は約500万人で労働力人口の8%強だ。今後3年間で約110万人の労働力と報酬が失われ、国内総生産(GDP)が約16兆円減少するとの試算もある。

 企業に影響が出ないわけがない。企業の新卒者の採用意欲は既に、昨年から高まっている。

 しかし、労働力の数の確保ですむ問題ではない。技術力が支える製造業ではノウハウをどう伝えていくか、深刻な課題を抱える。

 昨年4月に、65歳までの段階的な雇用延長を定める改正高年齢者雇用安定法が施行された。定年退職した社員を嘱託などで再雇用する企業は着実に増えた。

 だが、3社に1社で賃金が半減している。中小企業になると定年そのものを延ばすケースは少ない。

 バブル崩壊後の不況をリストラによって乗り越えてきた企業は、従業員待遇よりも収益と株主重視へ姿勢を移している。かじを元に戻すとは考えにくい。

 競争に勝ちたい企業は、「意欲のある現役」に負担増を求めている。連合総研の昨年の首都圏と関西圏を対象にした調査では、通勤時間を除き仕事に割く時間の平均は男性が10・5時間、女性が7・9時間に達していた。また、男性の28%が1日12時間以上働いていた。

 労働時間規制を一部撤廃するホワイトカラー・エグゼンプションや、裁量労働制の一層の柔軟化へ向けた動きは、団塊の世代の大量離職と歩調を合わせたものと言える。

 暮らしと調和を

 同世代の所得格差もさらに広がると予想される。昨年まで10年間で非正規労働者が約600万人増え、正規労働者は逆に約400万人減った。

 フリーターや働く意欲を失ったニート対策、パートの正社員化を進めても効果は未知数だ。長時間労働だったり、人間関係に悩むのなら非正規雇用でよいとなりかねない。

 だが、ワーキングプア(働く貧困層)の問題はことし、一層深刻化しそうだ。昨年半減されたサラリーマンの定率減税が全廃となった。住民税の上昇に連動して健康保険料も上がる。厚生年金、国民年金とも保険料が引き上げられる。

 消費税率のアップを待つまでもなく、増税感は強まっている。税の公平性は守らなければならない。

 ただ、高度成長期以来、国民の共通意識としてあった「一億総中流」は時代にそぐわなくなっているのも事実だ。画一、平均された個人ではなく、むしろ仕事や所得と調和した暮らしを探る個人が増えている。

 再雇用で労働時間の短いパートを選び、自由に使える時間を趣味や社会活動に充てる。定年後に地方暮らしを選ぶ。こうした人が団塊の世代の退職で増えることは確実だ。

 大学全入を迎え、有名大による小規模大学の吸収が始まっている。生き残りをかけた競争は、労働の「2007年問題」とも共通する。

 弱者と強者はややもすれば固定化される。調和のある社会と暮らしを追求したい。07年、漫然と流されるわけにはいかない。

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― posted by 大岩稔幸 at 06:46 am

解釈改憲

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防衛省が9日に誕生する。1954年の防衛庁の発足以来半世紀、関係者の悲願が実現し、自衛隊は新たなスタートを切る。

 省昇格は単なる看板の書き換えにとどまらない。「専守防衛」を基本方針としてきたわが国の防衛政策にも大きな変化をもたらすだろう。この変化をどう考えていくのか、国民にも大きな課題となる。

 わが国の安全保障の基軸になるのが日米安保体制であることは間違いない。しかし、この同盟関係の歴史は、米国の対外戦略にわが国が絶えず翻弄(ほんろう)される歴史でもあった。

 それでも、わが国が曲がりなりにも専守防衛に徹することができたのは、ひとえに集団的自衛権の行使を禁じた憲法の制約があったからにほかならない。

 わが国が従来の立場を大きく変える契機となったのは、自衛隊の海外派遣を可能とした宮沢内閣の下での国連平和維持活動(PKO)協力法の施行であろう。

 後方支援、人道支援という名目の下、カンボジア、ゴラン高原、東ティモールなど世界のさまざまな国や地域へ自衛隊が派遣されるに至ったのは見てきたとおりだ。

 それからの動きは、小渕内閣の周辺事態法、小泉内閣でのテロ対策特措法、イラク特措法、有事関連法と息つく暇もない。

 これらの法整備の背景には湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などがあるのは言うまでもない。米国への支援が迫られた結果でもある。

 こうした自衛隊の活動範囲の拡大で、歴代政府が駆使してきたのは、「解釈改憲」と言われる憲法九条の拡大解釈であった。その解釈でもタブーとされたのが先の集団的自衛権の行使である。

 一連の法整備で、憲法上の制約がかろうじて維持されてきた理由でもあるが、戦争状態のイラクへの派遣ではその解釈も限界に達していた。「非戦闘地域」という概念を立てざるを得なかったことに、その限界は示されている。

 文民統制が問われる

 防衛省の誕生はこうした流れの上にあることを知っておく必要がある。このことを忘れると、流れの先にあるものが見えなくなる。

 政府与党の間では、これまで「付随的任務」とされてきた海外派遣が「本来任務」に格上げされたことにより、派遣を随時迅速に行うため、特措法など新たな法整備の必要のない「恒久法」制定や武器使用基準の緩和などの動きがある。

 そうなれば、自衛隊の海外派遣の在り方が根本から変わり、アジア諸国に一種の安心感を与えてきた専守防衛も危うくなりかねない。

 防衛省の権限強化は文民統制下においてのみ許されるものだ。恒久法は個々の事例に応じて国民の代表である議会で論議するという文民統制の基本を逸脱する恐れがある。

 無論、そのまた先にあるのは憲法改正による自衛隊の明文化や集団的自衛権の見直しであろう。賛否とは別に、このこともしっかり理解しておきたい。

2007年1月3日 高知新聞社説

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― posted by 大岩稔幸 at 06:23 am

2007年の問題点

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新しい年が明けた。団塊の世代の大量退職が始まり、少子化進行で大学が全入時代を迎える現象は、「2007年問題」とも言われる。

いびつな人口構成を背景に、日本社会がそのありようを問われる一年になりそうだが、横たわっているのは2007年問題だけではない。

防衛庁の省への昇格は、安全保障の転機を物語る。保障と言えば、高齢者を中心に医療・年金など社会保障への不安が消えない。これらも争点となる統一地方選、参院選、さらに本県では高知市長選、知事選も控えている。

何が変わろうとしているのか。どう変えればいいのか、あるいは変えてはならないのか。教育基本法改正が提起した問題を皮切りに、4つのテーマを年頭に考えてみたい。

教育基本法改正案の国会審議が大詰めを迎えた昨年12月7日、高知市で反対集会が開かれた。目を引いたのは県内小中高の元校長らが、かつて属した組合の違いなどを超えて大勢集まったことだ。

戦前への反省を込めて、「教え子を戦場に送るな」は、戦後教育の合言葉だった。基本法改正を平和憲法改正の布石とみて、危機感を募らせた参加者がいた。愛国心を一律に教え込むことに懸念を抱く人もいた。

その一方で、世論調査を見ると、愛国心を教えることを支持する層も存在する。最近の子どもたちの状況から、国家や公共の精神について教えた方がいいとの考えもあろう。

どちらにも十分な理由があるが、基本法改正に関しては見過ごせない点が潜んでいる。国家と個人の関係をどう考えるか、明治の自由民権運動に倣うと国権と民権のいずれを上位に置くか、という問題だ。

通読した中江兆民が「苦笑するのみ」だったように、1889(明治22)年2月公布の明治憲法は、民権より国権が優先していた。その直後にできあがった教育勅語は、憲法と呼応する内容を持っていた。

これは偶然だろうか。実は憲法と教育の関係は、太平洋戦争の後でも繰り返されている。

 深い所で連動

戦争への反省から生まれた日本国憲法は1946(昭和21)年11月に公布され、翌47年5月に施行された。教育基本法は施行2カ月前の3月に制定されている。

新しい憲法と憲法に準じる教育基本法は、人権を重視し、人間の内面にかかわる部分への国家の関与は抑制する思想で貫かれている。

明治憲法体制とは異なる思想を柱に据えたのが戦後日本の出発点だった。教育基本法制定の翌年、国会は教育勅語の廃止を決議している。

「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」との条文があるとはいえ、教育基本法改正案に反対の声が上がったのは、国と郷土を愛する態度を養うことが明記されたためだ。愛国心の受け止め方は多様でも、それを学校教育の場に持ち込むことは、憲法の原理との間にあつれきを生じる。思想の自由に対する危機意識が、多くの元校長を高知市の集会に向かわせた面がある。

教育基本法の原理に手を加えることは、深い所で憲法改正問題とも連動する。改正するなら憲法が先という意見もあるが、順序はともかく政党レベルの改憲論が高まってきたのは決して偶然ではない。

ことしで施行60年になる憲法は、これまでは一字一句変えられなかったが、教育基本法改正によって空気が変わる可能性がある。事態は深く、静かに進行している。主権者としての自覚を再認識して、動きを注視したい。

2007年1月1日 高知新聞社説

― posted by 大岩稔幸 at 11:49 pm

謹賀新年

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亥年(いどし)が明けた。家族一同のつつがない一年を祈って初詣でに出かけた方も多いだろう。平穏な暮らしも世界とわが国の平和があってのこと。世界から硝煙の消える日はいつになるのであろうか。

イノシシといえば、猪突(ちょとつ)猛進という言葉が思い浮かぶ。前後を考えず、ただただ突進するだけの武者を猪(いのしし)武者と呼んだ例は、古くは太平記にあるそうだ。防衛庁は近く省になる。喜び勇んで猪突猛進するようでは、国民の信を失おう。

ことしは2、3年前から言われてきた「2007年問題」の年にも当たる。この年から日本の総人口が減少に転じ、また団塊世代の大量退職が始まって、社会にさまざまなひずみをもたらせると警告されてきた。

2007年問題は教育界にも及び、大学進学希望者数と大学の総定員が同じになる大学全入時代も幕開ける。全入と言えば、聞こえはよいが、それは大学の生き残りをかけた淘汰(とうた)の時代が始まるということでもある。

すでに人口の方は、予測より2年早まって、一昨年から減少に入っており、50年後には9000万人を割り込むという試算も出た。しかも、それは65歳以上の高齢者が全体の4割以上を占めるという、超が幾つも付くような少子高齢化社会だ。

参院選、統一地方選、選挙の年でもある今年が節目の年になる可能性は十分。しっかりと将来を見据えた実りある一年にしなければならない。猪突猛進ではなく、熟慮断行の年にしてこそ、夢と希望に満ちた未来を幼い者たちに手渡すことができる

― posted by 大岩稔幸 at 11:31 pm

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