2013/10/15
カテゴリー » 全 般
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外来治療可能な内因性うつ病
抑うつ等の症状が、軽度あるいは顕著ではないことが特徴である「軽症うつ病」が、しばらく前から増加しているとされている。
軽症うつ病の象徴的なエピソードとしては、意欲のわかない状態が数ヶ月前から続いているが、仕事や家庭のイベントを休むほどではない。「定年退職して再就職したのに以前の調子が出なくなった」「些細な出来事が心のトゲになりいつまでも気にしてしまう」・・・といったものが挙げられる。この程度の症状だと、患者は精神科や心療内科を受診するほどではないと自己判断してしまいやすい。
軽症うつ病の詳細なメカニズムは明らかになっていないが、経過は3〜6ヶ月以上と長く、不安と抑うつ気分、抑制(おっくう)という精神症状が混在する。うつ病の原因分類としては内因性であり、前駆する明らかなストレス因子などはないことから、患者説明には「心理的疲労」という用語が利用される。抑うつ症状は軽度であり、外来で十分治療可能なことから、「外来うつ病」とも呼ばれる。
軽症うつ病患者に多く見られる性格は、「まじめ」「几帳面」「責任感が強く頑張り屋」である。それまで比較的良い社会適応をしてきた人が多いが、執着傾向のある人が罹患しやすい傾向が認められる。
なお、最近の若年層に多く見られるジスチミア(気分変調性)親和型うつ病とは性格傾向が大きく異なっており、現時点では別の状態と位置づけるべきであろう。
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うつ病とは異なる、軽症うつ病の「主訴」(図1)
図1 軽症うつ病の主な症状
うつ病の症状は、主に
1. 抑うつ気分(気分が滅入る、楽しめない)
2. 意欲の低下(無気力、おっくう)
3. 考えが浮かばない(決断できない、優柔不断)
4. 身体症状(主に自律神経症状)
軽症うつ病がどのような主訴で受診しているのか調べると「不眠」が最も多く、続いて「易疲労感」「頭重・頭痛」「腹痛」「肩こり」「腰痛」といった身体症状であった。
軽症うつ病の抑うつ症状は軽度であるが、一方で臨床症状が身体化しやすい傾向がみられる。「頭痛」「めまい」「不眠症」「自律機能低下症」「更年期障害」「低血圧症」「心臓神経症」「胃腸神経症」「胃下垂」「慢性胃炎」「胃アトニー」「過敏性腸症候群」「過換気症候群」「糖尿病」「認知症」などの病名を持っている場合や、そのような症状を訴え、長期間治療を受けているにもかかわらず改善しない患者は、その裏に「軽症うつ病」が隠れている可能性がある。
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うつ病をめぐる氷山現象
軽症うつ病の診断手順は「2週間以上続く、軽い抑うつ気分と興味・喜びの喪失があり、睡眠障害、食欲不振、体重減少、頭痛や筋肉痛、易疲労感、性欲減退、便秘、動悸、肩こり、めまい等の自律神経症状を呈しており、理学的所見や諸検査において症状に見合うだけの器質的疾患が認められないケースで、さらに日内気分変動が存在する病気」となっている。したがって、患者の足は一般診療科に向かいがちである。
うつ病の「氷山現象」とは、うつ病患者が精神科や心療内科の専門医を受診する割合が極めて少なく、その大部分はプライマリ・ケア医を訪れているということを表現した言葉であるが、軽症うつ病では特にこの問題を軽視できない。
それでなくても、精神領域を専門としない医師にとって、うつ病診断は診断や重症度の判断が難しい。抗うつ剤の使用方法がわからない、時間がかかる、自殺や希死念慮がからみ扱いにくい、などの理由で気の重い患者である。共存する身体疾患がある場合、特にうつ病を見逃しやすいという問題もある。
そのため、適切な診断がされていない、診断がされていても適切かつ充分な治療が行われていない軽症うつ病患者は相当数にのぼると予想される。
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軽症でも適切かつ十分な治療が必要
正しく診断されていても適切かつ十分な治療が行われていないことに関しては、近年興味深いデータが報告されている。(図2)
図2 抗うつ剤またはプラセボによる治療後のHAM-D変化量と回帰直線
解析結果から、軽症で外来治療が可能といっても漫然と薬物投与を行うだけでは改善が得られないという軽症うつ病の現実が凝縮されている。軽症といっても、うつ病治療の基本である精神的休養と心理的サポート、適切かつ十分な治療が必要であることの証左といえる。
うつ病の80〜90%を占めると言われている「軽症うつ病」患者に対して、正しい診断と適切な治療が行われることを期待したい。
Cymbalta Journal
2013年6月作成
監修:東京大学 名誉教授 久保木 富房 先生
― posted by 大岩稔幸 at 11:02 pm
2013/9/8
カテゴリー » 時評
【シリア対応】介入に「大義」はあるのか
米国によるシリアへの軍事介入問題が、より混迷の度を増してきた。
ロシアのサンクトペテルブルクで開かれた20カ国・地域(G20)首脳会合は、軍事介入の準備を進める米オバマ大統領と、これに反対するロシアのプーチン大統領が各国の支持を取り付け合う場となった。
これにより、各国の現時点での立場もかなり明らかになった。
軍事介入を「支持」する積極派は少数で、米国の同盟・友好国にも態度を保留する国や慎重な国々が多い。
国連安全保障理事会の常任理事国である中国は、以前から反対だ。米国の支持取り付けは苦戦している。
このなかで米側は、一度見送った日米首脳会談の実施を日本に求めた。
安倍首相はオバマ大統領に「米国が非人道的行為を食い止めるとの責任感に心から敬意を表する」と述べ、緊密に連携していく姿勢を示した。
しかし軍事介入への「支持」や「理解」といった態度表明には踏み込まなかった。
ロシアとの北方領土交渉進展とのバランスを取ったとみられるが、拙速な対米追随を避けたのは妥当な判断だろう。
中ロの反対で国連安保理の決議が見込めないなか、米国主導の軍事介入の流れを大きく変えたのは、先月末の英国議会による介入参加の否決だ。
シリアのアサド政権が化学兵器を使用したという疑惑については、現地入りした国連の調査結果も発表されておらず、米英も決定的な証拠を示せていない。
このためオバマ政権も、議会の承認を求める姿勢に転換せざるを得なかった。
さらに軍事介入に最も強く参加の姿勢を示していたフランスも、今では米議会の承認と国連の調査結果を待つ姿勢だ。
米議会では上院の外交委員会が小差で武力行使容認決議を可決し、9日以降に本会議で採決される。
しかし、賛成した議員が猛烈な批判を浴びるなど、反対世論も大きくなっている。
下院の承認も難航が予想される。
結局は、この軍事介入に「大義」があるのかが問われる。日本はそれを慎重に見極めなければならない。
日米首脳会談で安倍首相は「難民、周辺国支援に取り組んでいく」とも述べた。
シリア難民は既に200万人を超えた。軍事介入と切り離し、日本らしい国際貢献を積極的に進めたい。
2013年09月08日
高知新聞「社説」より
― posted by 大岩稔幸 at 09:39 am
カテゴリー » 時評
改憲派の多い財界にあって、憲法改正に反対する活動をずっと続けた品川正治さんが9月7日 89歳で病死した。
品川さんを突き動かしたのは「戦争は、私の最も大切な人々を次々に奪い去った」という体験。
旧制高校のころ、太平洋戦争が激しくなり、召集で中国大陸へ。終戦の翌年、ようやくたどり着いた実家で悲報に接する。
出征前、将来を誓った婚約者が空襲の犠牲になっていた。
軍部に抵抗した、無二の親友が自殺したことも聞かされる。
結婚し、長男が生まれたのは1950年7月。
直前に朝鮮戦争が発生。
また戦争に巻き込まれるのか、赤ん坊はどうなる…。
不安の消えない日々を、支えてくれたのは戦争放棄をうたう憲法9条。
結局、日本の戦争参加はなかった。
当時の心境を昨年、雑誌「世界」につづった。
「憲法9条のありがたさがしみじみと感じられた。
生まれたばかりの徹(長男)を抱きしめては9条を念仏のように唱える日々だった」。
その後、状況は変化。品川さんは「9条の旗はぼろぼろ」と認めながらも「旗ざおは手放すな」と訴え続けた。
日本では首相主導で9条の解釈見直しの論議が進み、国際社会はシリア攻撃をめぐって揺れている。
品川さんはどんな思いで見守っていたのだろう。
7年前、高知市の講演でこう述べている。(2006年)
「戦争を起こすのが人間なら、止めようと努力するのも人間。紛争を戦争にするかしないかは人間が選ぶこと」
高知新聞「小社会」より
2013年09月07日07時48分
― posted by 大岩稔幸 at 09:19 am
2013/8/13
カテゴリー » エッセー
「羮に懲りて膾を吹く」
「あつものにこりてなますをふく」と読みます。
これは『楚辞』の「九章」の中の「惜誦」と題する詩の一節です。
この後に「なんぞ此の志を変ぜらんや」と続いています。彼、屈原は危機にある楚の国を憂い、祖国を誤らす佞臣を憎み、彼の堅持した孤高の心情を情熱的に歌ったものです。
熱い料理で舌を火傷した人は、すっかり懲りてしまって冷たい料理でもフウフウ吹いてしまう・・・という意味で、現在では「一度失敗してしまうと必要以上の用心をしてしまう」という臆病な人のたとえに使われています。
失敗は誰にでもまたどこの国にもありますが、失敗を教訓として同じ過ちは繰り返してはいけないのです。楚の屈原のように、「前の失敗」を絶対に忘れてはならないときは、たとえナマスであって吹くのは大事なことだと思う。
毎年、終戦記念日が近づくと、マスコミはこぞって「前の失敗」を繰り返し報道する。終戦68年を経てなお、アツモノを思い出させるためであろう。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という諺通りの勇ましい人たちもいます。彼らは「アツモノなどへっちゃら」と周囲をあおり立てる。同調者が増え熱狂すると「アツモノでも熱くない」と幻想する結果となりまた同じ失敗を繰り返してしまう。
「アツモノ」とは戦争のみではない。「原発事故」というアツモノにもまたナマスを吹き続けねばならない。「羮に懲りて膾を吹く」という慎重さは「憲法9条を守る」ことにとって極めて大切である。決して臆病者ではない。
― posted by 大岩稔幸 at 01:00 am
2013/5/2
カテゴリー » エッセー
周囲からそれなりの信頼を得るには20年かかる。
「信頼を得るには20年、失うには5分」 ビジネス書などでおなじみの言葉です。胸に手を当てると、誰しも思い当たる節があるであろう。
正確には、「周囲からそれなりの信頼(reputation)を得るには20年かかる。だが、その信頼はたった5分で崩れることがある。
そのことを頭に入れておけば今後の生き方が変わるはずだ」
この言葉は、世界最大の投資持株会社の会長兼経営責任者であるウォーレン・E. バフェットの名言である。
Microsoft社のビル・ゲイツ会長と毎年のように世界一位の富豪の座を争っている人物で、82歳の現役投資家、経営者です。
その投資哲学と運用成績から、居住地の米国ネブラスカ州オマハにちなんで「オマハの賢人」とも呼ばれています。
この場合の20年は象徴的な数字ですが、「信頼を得て保ち続けるには、ちょっとやそっとの覚悟では足りないぞ」という賢人からのアドバイスであろう。
信頼は周囲から寄せられる「未来への期待」
「信用」と「信頼」はどう違うのであろうか。
よくいわれるのは、「信用」は実績の客観的評価であり、その信用を根拠にその人や物が将来も安定して信じられるという感情が「信頼」だとされている。
つまり、信用は自ら築いた「過去の成績」だとすれば、信頼は周囲から寄せられる「未来への期待」であろう。
人や物の未来を切り開くには、長い年月を掛けて実績を積み上げ、周囲からの評価や支持を獲得することが必要である。
しかも、いったん信頼を得たとしても「5分で崩れる」可能性があるわけだから、信頼を「維持」する努力が常に求められるのである。
ウォーレン・バフェットも失敗しないわけではないが、彼は投資上の失敗を公にすることで損失を最小限に抑え、信頼の失墜を防いだそうです。
一旦失えた信頼は、それを取り戻すためには涙ぐましい努力と時間が必要です。
ちょっとやそっとの努力では足りません。何倍もの努力のエネルギーが必要です。
「信用」と「信頼」はどちらも維持して大切にしなければなりません。
ボストンタマシダ
― posted by 大岩稔幸 at 09:14 pm
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