改憲派の多い財界にあって、憲法改正に反対する活動をずっと続けた品川正治さんが9月7日 89歳で病死した。
品川さんを突き動かしたのは「戦争は、私の最も大切な人々を次々に奪い去った」という体験。
旧制高校のころ、太平洋戦争が激しくなり、召集で中国大陸へ。終戦の翌年、ようやくたどり着いた実家で悲報に接する。
出征前、将来を誓った婚約者が空襲の犠牲になっていた。
軍部に抵抗した、無二の親友が自殺したことも聞かされる。
結婚し、長男が生まれたのは1950年7月。
直前に朝鮮戦争が発生。
また戦争に巻き込まれるのか、赤ん坊はどうなる…。
不安の消えない日々を、支えてくれたのは戦争放棄をうたう憲法9条。
結局、日本の戦争参加はなかった。
当時の心境を昨年、雑誌「世界」につづった。
「憲法9条のありがたさがしみじみと感じられた。
生まれたばかりの徹(長男)を抱きしめては9条を念仏のように唱える日々だった」。
その後、状況は変化。品川さんは「9条の旗はぼろぼろ」と認めながらも「旗ざおは手放すな」と訴え続けた。
日本では首相主導で9条の解釈見直しの論議が進み、国際社会はシリア攻撃をめぐって揺れている。
品川さんはどんな思いで見守っていたのだろう。
7年前、高知市の講演でこう述べている。(2006年)
「戦争を起こすのが人間なら、止めようと努力するのも人間。紛争を戦争にするかしないかは人間が選ぶこと」
高知新聞「小社会」より
2013年09月07日07時48分
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