大切なものとの邂逅

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 私たちは苦しいとき、辛いとき、また人生の節目の折々に目には見えない神仏を求めたりします。私は特別に熱心な信者というわけではありませんが、困ったときの神頼みというか、神仏を信じたいという気持ちになることがあります。

 もしも、生まれた目的を忘れ、孤独に泣いたとしても、私を見つめ思いやる存在があると。ときにうちひしがれ、人生に絶望していても、そっと寄り添う存在があると。そう信じての神頼みです。

 私は霊能者でも、超能力者でもない普通の人間ですが、現世の視点で物事を見つめると同時に、肉体を持たないものたちや、魂の視点で私に見えるものがあるとしたら、それらの言葉を代弁すべく、制作がしたいと考え興味を持つようになったのです。

 いうまでもありませんが、絵に措かれている龍は架空の生き物です。目には見えず、物質としては存在しません。けれどそのような対象への、敬意や憧れ、崇高なものとして位置づけられている存在と、思いがけなく出会うことができたとしたら、どんなに喜びを得られるだろうか。絵に表現したかったものは、そんな私の精神世界です。また、私は一人ではない、守られていると感じたいゆえに、人は皆一人ぼっちではない、目には見えなくとも本当に大切なものに気づいているのだろうか、そして気づいてほしい、さらに私自身そうありたいという願望も込められています。

これまで私が経験し、良くも悪くも心が揺り動かされた事物が大きく影響しています。そして今私は、私たちを取り巻く現代はまさに混沌と、不確実な時代へと突き進むべく、漠然とした不安にとらわれながら生きている人がいると感じるのです。なぜそれほどの孤独感にさいなまれ、無力感にとらわれる人がいるのでしょうか。

 それは、現代にはびこる経済、物質至上主義の価値観に一喜一憂し、自分が今ここに在ることの意味を失っているからに他ならないからだと思うのです。そこで必要なのは、静寂のなかにそっと身を置き、聞こえてくる自分自身の言葉。私はどれだけ耳を傾けることができているのか計り知れませんが、心の目を見開いて、ありとあらゆる感覚で本当に大切なメッセージを受け止めて生きてゆきたいです。本当に大切なものは目には見えません。

それに気づき精神を重んじられるようになれば、幸せの価値が物質ではなく一人ひとりの心にあり、有限な物質と折り重なつて存在するのだと理解できます。だから私は、目に見えるもの見えないもの、美しいものそうでないもの、ささやかに語りかけてくる声に柔軟に反応し、学び続けたいと思います。

― posted by 大岩稔幸 at 06:54 am

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