果たして、刑事罰の対象にまですべき事例だろうか。
京都大などの入試問題をインターネットに流出させたとして、偽計業務妨害容疑で予備校生が逮捕された一件。異例の手段とはいえ、カンニングにすぎない。
不正自体は断じるべきだが、多くの人が指摘するように、大学は自ら名乗り出るよう呼び掛けることもできたはずだ。研究・教育機関である大学が、志望する若者をいきなり警察に委ねて追い詰める仕打ちは、大人げない気がする。
かのアインシュタインは、大学入試にも一家言あったようだ。あるジャーナリストがまとめた対話集の内容を、寺田寅彦が随筆「アインシュタインの教育観」で紹介している。
アインシュタインは「偶然に支配されるような火の試練でなく、一体の成績によればいい」などと述べる。
一回限りという試験の重圧は誰にも経験があるだろうし、今回の背景にもそうしたプレッシャーがある。随筆が発表されたのは1921年。試験方法への問題意識は90年も前からあったわけだ。
アインシュタインは入学後についても「試験さえすめば数ヶ月後には大丈夫きれいに忘れてしまうような、また忘れてしかるべきような事を、何年もかかって詰め込む必要はない」「学校で第一に仕立てるべきものは未来の官吏、学者、教員、著述家でなくて『人』」と強調する。
大事なのは、どの学校に行くかより何を学ぶかだ。くだんの予備校生は何を学ぼうとしていたのか。目標があったなら、それだけは見失ってほしくない。自分自身、もっと見聞を広げていれば…と後悔しているだけにそう思う。
2011.03.09
高知新聞夕刊 話題 松井久美
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