黒人(くろんぼ)の兵隊さんが眠(やす)んでいる
その傍(かたわら)でドニーズはこころしみじみ眺めてる
自分のあそこを撫でたので
それでそこだけ桃色にぱっと染まった
男の掌(て)
堀口大学訳
ジャン・コクトーの最初期の詩集『寄港地(エスカール)』にある「黒人と美女」と題する愛すべき小品である。
男性の肉体の中で、最も男性的な部分は、どこだろうか。ある人は感情の表示板たる顔をあげ、ある人は思考の中枢である頭脳をいい、またある人は心のありかに擬せられている心臓をさすかもしれない。それらのひとつひとつについて異議をさしはさむものではないが、手もまたこれらにひけをとらず、われこそ最も男性的な部分と主張できると思われる。
ジャン・コクトーの「黒人(くろんぼ)の兵隊さん」が書かれたのは1920年だから、この兵隊さんはおそらく仏領アフリカのどこかから徴兵された黒人兵で、休暇かなんぞでマルセイユあたりの妓楼に登っているのだろう。
だからドニーズというのは、相方の若い娼婦でもあろう。男は安心しきって上を向き、握った手を半開きにして、安らかな寝息を立てている。その半開きの桃色の手のひらを見て、ドニーズは「自分のあそこを撫でたので/それでそこだけぱっと染まった」のだと、納得している。ほんとうは、ぱっと染まったのは撫でられたがわの自分の「あそこ」かもしれないのに、それを逆に撫でたがわの「男の掌」と強引にいっているところが、この詩のおもしろさであろう。
けれども、この詩にいうとおり、男の掌だって赤くなるかも知れない。その赤くなりかたは、ひょっとしたら女の「あそこ」以上かもしれない。その手は、女のよろこびをつくり、愛の結晶をつくるおおもとになる手だが、そのつくる行為の第一原因は、男の含羞であるかもしれないのだ。
べつに「黒人の兵隊さん」に限らず、男の手というものは一旦仕事を離れると、急にあどけなくなったりする。節の太い指の先にある半月のくっきりした健康そうな瑪瑙色の爪が、育ちのいい坊ちゃんよろしく深爪に切り込んであったりすれば、なおさらである。こんな手の表情をみると、顔の表情を見る以上にセクシーである。
「代用品」
目は口ほどにものを言い
手はあれほどにことをする
堀口大学「月かげの虹」
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