武田信玄を慕う甲府の街の野趣あふれる料理。昔から、稲作よりも小麦が多かった甲府では、それを元にした粉食の食文化が栄えた。代表的なものが「ほうとう」「うどんとは違う。ほうとうは別物」と、地元の人はひときわの愛着を寄せる。
甲府駅前のロータリーには「宝石の街 甲府」と記されたモニュメントが立っている。ぶどうやワインでは名の知られた土地だが、宝石の街でもある。その昔。近隣の景勝地、昇仙峡が水晶の産地であったことから、それを研磨する技術者が多く輩出した。水晶が採れなくなってからも研磨の技術は伝承され、今も他のさまざまな宝石がこの地に寄せられ、卓越した技術者たちが精微なカットをほどこしている。
甲府駅のすぐ脇の小さな公園には、威風堂々とした武将の像が据えられている。右手に軍配を持ち、足を広げて座っている。武田信玄。戦国時代の甲斐の国の英雄は、今もなお甲府の人々の心の拠りどころであるようだ。武田通りという道路が設けられ、その先には武田神社が鎮座し、風林火山の幟がはためく。
疾きこと風の如く、
徐かなること林の如く、
侵掠すること火の如く、
動かざること山の如し ′
その信玄公率いる甲斐の軍勢が、野戦の陣を張るにあたって食していたのではないかともいわれるのが、甲州の名物料理ほうとう。小麦粉を練った平打ちの麺を、ふんだんの山の幸と共に味噌仕立ての汁で煮込んだ一品だ。海のない盆地であるから、魚介の類は入らない。野趣に富んだ素朴な郷土料理である。
「ほうとう」の名は、平安時代の古い辞書に表記がある「はくたく」が音便変化したものとされる。似たような料理は日本の各地にあるが、「ほうとう」とよび慣わすのはこの地のみ。一説には信玄が自らの刀で野菜を刻んだことに由来するともいわれるが、それはいささか後付けの感がある。
かぼちゃが入っていなければ「ほうとう」にあらず。壁に掛けられたホワイトボードには「お客さまへ」から始まる断り書きが記されている。
「ほうとうは出来上がりに30分前後お時間をいただいております」。急ぐ身ではない。「ほうとうをひとつ」。店の方は言った。「注文を受けてから野菜を切って、麺を茄でてという段取りですので、お時間がかかるんです。つくり置きができないものですから」
ほうとうは「疾きこと風の如く」とはいかないのである。待つ身は「徐かなること林の如く」がよろしい。林に風が吹いて、いよいよほうとうの登場。持ち手付きの鉄鍋にクックツと煮立った面。ダシはカツオブシで取り、麦の赤味噌が溶かれている。
具材の陣容は、カボチャを総大将に、白菜、サツマイモ、サトイモ、シメジ、椎茸、三つ葉、鶏挽肉、長ネギ、ナス、きざんだ油揚げ。ほうとうには「カボチャが欠かせない」と甲府の人は言う。それが何ゆえだかはワカラナイが、12月、冬至の頃にカボチャを食べると風邪を引かないなどともいうから、この時期にはもってこいだ。
食べるにあたって「侵掠すること火の如く」ともいかない。アッチッチなので、麺を一本、具材をひとかじりというスローなテンポで食べ進める。量がたんまりとあるので、さながらひとりで鍋をつついているような気にもなる。身体が温まる。腹にずしりと来る。野菜やきのこが中心の具材だからヘルシーでもある。
ああ、満腹にして満喫。しばらくは「動かざること山の如し」。
2008年12月号
JAL機内誌
SKYWARD
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