医者の使命感

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昨年は医療界で、医療の「立ち去り型サボタージュ」(『医療崩壊』・小松秀樹・朝日新聞社)という言葉が流行語になった。医療を取り巻く環境の厳しさに病院の医師が使命感と自分の人生との板挟みにあい、病院を辞めてしまうことを、こんな言葉で表現したのである。サボタージュとあるが後ろめたさのある、追い詰められての行動である。後ろめたさとは、自己防衛のために使命感を放棄することである。

昨年は、6000人以上の医師が病院を辞めて開業したという。病院の医師不足という地域医療崩壊の直接の原因がここにある。何故、こんなことが起こるのか。病院の医師が求められるものの大きさに耐えられなくなってしまったのである。

医師は、プロとして誠実に医療を行い、患者さんや社会に喜んでもらい認めてもらうことが生きがいであり、誇りでもある。そのためなら、相当に厳しい勤務にも耐えられる。そのうえ仕事は服務規定や自分の都合にではなく、患者の都合に合わせなければならない。ひとの生命にかかわる仕事とは、そういうものだ。無論、それに見合う人員や給与などの待遇は重要である。

だが、医師を根本で支えているものは、住民の健康を守るという使命感であり、その使命感を支えているのは、社会、国民、患者からの敬意であり信頼である。今はこの支えが崩れかかっている。最近の医療はとにかく元気がなく、ときにはおびえているのではないかとすら見える。ささいなことで怒鳴り込まれ、訴えるぞと迫られる。意図して手を抜いたとか、やるべきことをサボったとか、そんなことがあれば、厳しく糾弾されなければならない。

だが、どれほど誠実に対応しても結果が悪いことがある。この区別は難しいこともあるが、このごろは結果がよくなければ問答無用である。人の身体、命を何と考える、謝れ、責任をとれ、罪を償え、やるべきことはやったのに、なお、責められれば糸は切れてしまう。

この世に生きている限り、どこにもリスクがある。なかでも病院はリスクの高いところだ。そのうえ、医学も医療技術もどれほど進歩しても未成熟で完全にはならない。悲しいことだが、人が人に行うことに100%確実はない。こんなことは誰もがわかっているけれど自分の身体や命はひとつである。完全を求めて何が悪い。完全を保障できない医療を行う者と、医療に完全を求める者と、この矛盾する谷間を埋めるにはどうすればよいのか。

医療とは、不完全でも不確実でも人が生きてゆくためにはなくてはならぬものだ。ここを出発点にしない限り、谷間は埋まるどころか広がるばかりではないか。医師を甘やかせなどと言うつもりはまったくないが、医師の誇りややる気まで奪ってしまえば、医療の崩壊はとめどなく進むだろう。

― posted by 大岩稔幸 at 11:27 pm commentComment [1]

この記事に対するコメント[1件]

1. プリアーニ@大阪 — June 1, 2007 @14:18:19

[にこっ/] 医師の誇り、この肝心のベースの上に立って医師なりの達成感の域に達する・・ と考えます。近時「専門医」とよく耳にしますが、それなりに得意分野を極めてこその「専門医」、その実績を積み重ねてこそ、患者の信頼も得られるというもの・・。 医者は勿論ですが、他のどんな仕事でも人命に関わることもしばしばです・・。

[にこっ/] レベルの低い批判や中傷にめげず、大病院であれ、開業医であれ勉学と実践の上に立った確固たる自信をもって、しっかり頑張って下さい・・。おてんとう様がいつも見ていらっしゃいます。この夏も楽しく乗りきりましょう・・。

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