赤鬼 青鬼

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青鬼特高、赤鬼憲兵

日本の憲兵の特徴は、軍事警察の機能だけでなく、「思想警察」として内務省の特別高等警察(特高)とともに、思想取り締まりの先頭に立ったことです。当時「青鬼特高、赤鬼憲兵」と呼ばれていた。

憲兵は先(ま)ず思想警察に関する限り、敢然とその埒(らち)を越え、労働運動、農民運動、学生運動、さては市民運動などの一連の軍事以外の各面にも、周到な視察を加えて、治安機関としての不動の立場を確立した。

「『思想は憲兵に聴け』といわれ、軍隊は憲兵を唯一の助言者として、その思想警察を高く評価していた」(『昭和憲兵史』)。

関東大震災(1923年9月)の際には、東京憲兵隊渋谷分隊長・甘粕正彦が、無政府主義者の大杉栄と、その妻伊藤野枝、おいの橘宗一(6歳)を混乱に乗じて虐殺するなど、憲兵は、早くから左翼思想を敵視してきた。

1929年5月から毎月、憲兵司令部が発行した『思想彙報(いほう)』では、「要注意壮丁」の思想考察をおこなっている。「壮丁」とは、徴兵検査を受ける義務のある満20歳の男子のこと。憲兵は、軍隊に反軍思想の持ち主が入り込まないように、国民を対象に思想統制をした。

同報第8号(1929年12月16日)では、築地小劇場新築地劇団「西部戦線異状なし」の演劇も記録されています。演劇人らが「検閲を巧みに逃れて、其の目的を完全に達成せんとするの技巧は、益々巧みになった」と記しつつ、「反軍的」場面を列挙、命令によって脚本から削除させた個所を掲載し、「軍隊に悪影響を及ぼさざる様適宜の処置が望ましい」と結論づけています。

同報第23号(1931年3月20日)では、「小学児童の階級的示威行動(山梨県)」の見出しで、地主を罵倒(ばとう)する歌を歌って行進していた児童のことまで記録しています。

憲兵は国会の開会中も議会に詰めて、議員の動きに耳目を働かせ、情報関係の特務10人を会期中の国会に常駐させていました。とくに、東条内閣は、反軍的、反東条的動向に対して、憲兵や警察、特高の監視網を使って国会議員まで弾圧しました。

反東条を掲げた中野正剛代議士の弾圧に憲兵が動き、軍事上の造言蜚語(ひご)罪で逮捕しました。中野を議会に行かせないための策略でした。中野は、警視庁から憲兵隊、検事居へ移送され、再度、警視庁から憲兵隊へとたらい回しになり、憲兵監視下の自宅で自殺に追い込まれました。

自衛隊の国民監視は、かつての侵略戦争に源流があるといえます。監視するのは本来国民で、監視されなければならないのは自衛隊のはず。

自衛隊の行為はまったくの越権であり、「プライバシーを守る」という民主主義の根幹を揺るがすことでもある。個人情報保護をうたいながら一方で国民のプライバシーを侵害し、思想信条および信教の自由を脅かすともいえる政府の態度は許せるものではない。

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― posted by 大岩稔幸 at 09:50 pm

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