ミツバチマーク

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「クレオパトラはハチミツパックをしていた」
「ローヤルゼリーを愛飲していた」
「クレオパトラの王冠にはミツバチマークが記されていた」

エジプトとミツバチには深い縁があるらしい。現代でもその効用が見直されているハチミツであるが、エジプトでは紀元前から養蜂をしていたという。そしてそのミツバチは絵やレリーフとして今なお残されている。遺跡を巡ると、いたるところで簡単にミツバチマークを見つけることができる。なぜなら、ミツバチはロータスやパピルスと同様にエジプトの象徴だからである。

 エジプトに砂糖が入ってきたのは紀元前4世紀、アレキサンダー大王のエジプト遠征による。それまで古代エジプトでは、甘味料といえばハチミツとナツメヤシであった。ミツパチは太陽神ラーの涙が変化したものであり、そのミツバチが集めたハチミツは神からの贈り物であったといわれる。

 古王国時代(紀元前2686年頃〜紀元前2185年前後)にはデルタ地帯を中心に野生のミツバチが集められるようになった。そのためミツバチは下エジプトの象徴となり、上エジプトの象徴スウト草(スゲ)とあわせて“上下エジプトの支配者モの意としてファラオのカルトウーシュ(王名枠)の前に記されるようになった。壁画やレリーフに描かれているミツパチマークをたくさん見つけることができるのはこのためである。

 古王国時代からハチミツは神々への供物、儀式で欠かせない物として珍重され、養蜂も行われるようになった。そして中王国時代(紀元前2040年頃〜紀元前1782年頃)になると、高官への報酬としてハチミツが用いられるようにもなった。

 そして養蜂が盛んになると王家は課税するようになったため、大量のハチミツが税として徴収され、それが王の名で神殿に奉納されることになった。ハチミツは甘味料としてだけでなく、ビール、パン、ワインと同様に神々への供物として重要だったのである。

 ミツバチの誕生はおよそ6,600万年前といわれる。人類の誕生が約400万年前であるから、どれだけ地球上に生き永らえているかがわかる。そもそもミツパチと人類のかかわりは古く、スペインのアラニア洞窟で発見された約1万年前の壁画に、蜂の巣から蜜を採る女性の姿が描かれているという。

 そしてここエジプトでは紀元前600年頃の壁画に養蜂の様子が措かれたものがあるという。その壁画は古代都市テーベ(現在のルクソール)、有名なハトシュブスト女王葬祭殿にほど近い場所、第26王朝時代(紀元前600年頃)の執事であったパパサの墓(貴族の墓のひとつ)にある。この墓を訪れる人は少ないらしい。





大塚薬報 10月号 
2008/No.639

― posted by 大岩稔幸 at 11:02 pm

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