戦争文化と平和文化

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 「戦争の文化」は誰のため、何のために戦うかを考える文化だ。自分のためか」家族のためか、国のためか。しかし「全世界のために」という発想はない。この文化は「敵」が必要だからだ。ライバルへの憎しみや恐怖をバネにして戦う。両者とも「我こそが正義」と思っている。勝った者は「神のおかげだ」と
言い、負けた者は「神が見捨てた」と言う。「殺される前に殺せ」が「戦争の文化」。

 一方、「平和の文化」は、対立が起こるとまず解決策を考える。すべての当事者が納得し幸せになる方法を探す。半分が喜び、半分が悲しむという結果は望まない。攻撃されたとしても「非暴力」に徹する。「殺すくらいなら死んだ方がまし」と考える。

 この「非暴力」を教えようと多くの人が現れた。その一人がイエス・キリスト。彼は「敵を愛せよ」と言った。拷問を受け殺されたが、神になっても拷問した者を殺しはしなかった。ガンジーや、キング牧師も同様だ。われわれに「非暴力」を教えようとしたが、準備が足らず殺された。

  平和を貫くためには「戦うくらいなら死んだ方がまし」と考える「非暴力」の覚悟がいる。人類はそれに向けて意識転換をしていかねばならない。「非暴力」が平和につながるという考えは、今アメリカで大きな議論になっている。イスラエルとパレスチナの関係で。ある平和運動家は「あまりにもイスラエルはパレスチナに対して悪いことをしている。

 パレスチナ人は暴力を使っても戦う権利がある」と言う。しかし暴力を使う限り、平和は永遠に来ない。もし平和が大事だと思えば、何のためにも戦わないことだ。戦う人は駄目だと考えなければいけない。

 アメリカはストレスを受けている。一つはオイル。安いオイルがあることの前提で、世の中は成り立っている。日本のオイルは、アメリカによって手に入る。アメリカは世界人口の4%なのに、25%のオイルを使っている。中国、インドが発展すれば、オイルはもっと使われる。このオイルをどう確保するのか。オイルのために戦争をするのか。

 ソ連とアメリカの冷戦が終わり、アメリカは世界のボスになろうとしていた。戦争文化だから、そう思っていた。オイルや水をコントロールしようとしていた。しかしアメリカはもう力がない。政治的にも経済的にも。あとは軍事的な力しかないが、それも失敗に終わるだろう。アメリカ帝国は終わり世界の秩序は崩れる。

 ローマ帝国やスペイン帝国もそうだが、帝国が終わる時には戦争が起こる。イギリス帝国末期には、第一次世界大戦が始まった。このままの「戦争の文化」の考えでは、戦国時代になる。

アメリカ人がアメリカを変えることはできない。「平和文化」を進めようとしている人があまりにも少ない。アメリカは「戦争の文化」のリーダーだ。「平和文化」のリーダーが必要。なれるのは日本しかいない。アメリカに対してもっとメッセージを出すべきだ。





2008年10月7日
高知新聞朝刊


 父は洞爺丸で犠牲

 スティーブン・ロイド・リーバーさん 米イリノイ州生まれ。1985年から広島市を拠点に平和関係資料などを翻訳する傍ら「世界平和運動家協会」を主宰。2007年、財団法人広島平和文化センター初の外国人理事長に就任、全米101都市で原爆展開催を目指す。父親の故ディーン・リーバー氏は1954年に1155人が死亡した青函連絡船「洞爺丸」の遭難で、自らの救命胴衣を日本人に渡し犠牲となった。三浦綾子さんの小説「氷点」にも描かれている。

― posted by 大岩稔幸 at 10:19 pm

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